米国の鉄道、鉄鋼を支配したモルガン家との接点
今回は、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけを見ていきます。
1837年アメリカのジョージ・ピーボディが、ベアリング家の親戚であるブラウン家のブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入し、ネイサン・ロスチャイルドの代理人となります。これが、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけとなります。
このジョージ・ピーボディは、キダー・ピーボディ証券の中心人物で、ピーボディ基金の設立者です。ところが、彼には子どもがいなかったので、自分の後継者にジュニアス・モルガンを指名し、このことでモルガン商会がロスチャイルドのアメリカの代理人となります。このジュニアス・モルガンの息子が、ジョン・ピアポント・モルガンで、アメリカの鉄道を支配するようになり、1901年に鉄鋼王カーネギーを買収しUSスティール社を創業します。
また、1892年にジェネラル・エレクトリックGEを設立し電気事業を再編、1907年には全米の電話を独占するAT&Tを買収します。ちなみに彼の名前「ジョン・ピアポント」が、現在のJPモルガンチェース銀行の「JP」の名前になっています。
名家とのネットワークを次々に構築したロスチャイルド
もうひとつ、ロスチャイルドがアメリカで基盤を作るようになるきっかけは、1837年フランクフルトのロスチャイルド商会の代理人オーガスト・ベルモントがアメリカに派遣されたことです。ベルモント商会は、企業買収を繰り返し、金融機関を支配するようになり、あの黒船ペリー提督のペリー家、モルガン家と結びついて、ボストン財閥を形成します。
また、ロスチャイルド家の代理人ジェイコブ・シフがアメリカに渡ります。ソロモン・ローブの娘と結婚し、1870年クーン・ローブ商会の頭取に就任し、ロックフェラーやカーネギーの後援者となって、巨大財閥に助力しました。モルガン家、ビドル家、ドレクセル家の3大有力者と連携し、ウォール街の銀行連合を形成します。
なお、ビドル家のニコラス・ビドルは、パリのジェームズ・ロスチャイルドの代理人でした。ドレクセル家のアンソニー・ジョセフ・ドレクセル1世は、JPモルガン・カンパニーの前身となるドレクセル・モルガン・カンパニーの共同設立者です。余談ながら、このジェイコブ・シフが、日露戦争の資金調達にアメリカに渡った高橋是清日銀副総裁の求めに応じて、日本の戦時国債を購入します。
このようにして、ロスチャイルドはアメリカに金融のみならず産業・経済のネットワークを構築してしまいます。そして、1907年アメリカは金融危機・恐慌に見舞われ、新しい通貨制度の確立や金融システムの必要性が高まり、FRB(連邦準備理事会)設立に至ることになります。