1990年代生まれの「ゆとり世代」。「若者の象徴」ともいえるべき存在だった彼らが、30代に差し掛かることもあってか、一時期世間を席巻した「ゆとり世代バッシング」は下火の傾向にある。だからこそ冷静になって考えたい。彼らは本当に叩かれるべき存在だったのか? 人材育成/組織行動調査のコンサルタント・西村直哉氏の著作『世代間ギャップに勝つ ゆとり社員&シニア人材マネジメント』(幻冬舎MC)より一部を抜粋して考察する。

長らくバッシングの対象だった「ゆとり世代」だが…

本書籍(『世代間ギャップに勝つ ゆとり社員&シニア人材マネジメント』)の制作にあたって、私は多くの若手社員から実際の声を集めました。もちろんそのような調査でどれだけ本音が聞けるのかは分かりませんし、つてを頼ったので無作為な母集団を集めることができたわけでもありません。しかし、普段はあまり聞くことのできない声が集まり、それに感心したという意味で、意義のあることだったと思います。

 

さて、実際に若手社員に接してみて感じたことは、全員が驚くほど「いい子」だったことでした。私たちが若い頃は、もっと生意気だったし、反抗的だったと思います。しかし、今の若手社員は全体的に言動も態度もスマートで、あからさまに反抗的な態度を示すことがないのはもちろん、感じをよく見せる術にも長けているように思いました。これは、単に私たちだけの印象から言っているわけではありません。

 

警察庁の調査によると、2017年に検挙や補導された刑法犯少年(14~19歳)の数は、戦後最低の約2万7000人で、14年連続の減少となりました。最も多かった1983年の約19万2000人と比べると、実に7分の1にまで減少しているのです。少子化で少年の数が昔より減っているものの、刑法犯少年を少年人口比で見たデータでも、ピーク時の4分の1になっており、やはり現在の少年は昔に比べて圧倒的に、問題を起こさない「いい子」であるといえます。

 

マスメディアの報道だけを見ていると少年犯罪が増えているようなイメージがありますが、そうではありません。検挙された少年の数が最も多かったのは1980年代です。そして約14万人を数えた2003年以降の15年間、刑法犯少年の数は急激に減少してきました。これはちょうどゆとり世代が成長して少年となる年代になった頃と重なります。つまりゆとり世代は犯罪傾向が最も少ない世代であるともいえるのです。

 

いったいなぜ、ゆとり世代は「いい子」なのか。私たちはそれが、ゆとり教育の一つの成果ではなかったかと考えています。そもそもゆとり教育が登場した背景には、学習量が過剰に増大した、知識偏重の「詰め込み教育」に対する批判がありました。どんなに英単語を暗記したところで、歴史年号を語呂合わせで覚えたところで、各都道府県の主要産物を言えたところで、使わなければ忘れてしまいます。日常生活で使うことのない数学の公式や元素記号を、すらすらと思い出せる社会人はそれほど多くないでしょう。

 

一方で、生活の中や仕事で実践的に使う知識であれば、ことさらに暗記しようと思わなくても自然と身につくものです。たとえば私たちは、特別に苦労することなく、自宅や勤務先の住所や電話番号や道順を覚えています。単語カードや蛍光ペンを使って勉強しなくても、学校や仕事で出会った人の顏や名前はたいてい覚えているものですし、毎日繰り返している仕事の手順は、かなり複雑なものでも勝手に身についてしまいます。私たちの知性は、必要があれば苦労しなくても立派に働くことができるのです。

 

そのためゆとり教育では、先生が子どもに知識を教える時間を少なくし、代わりに子どもたちが自分で物事を考える力を育てることに主眼を置きました。ゆとり教育では、学習時間や学習範囲が減少したとよくいわれますが、減少した分がどうなったのかといえば「総合的な学習の時間」として、子どもの生きる力を育てることにあてられたのです。

 

たとえば、小学校の学習指導要領では「総合的な学習の時間」の目標として、次のように書かれています。

 

「横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに、学び方やものの考え方を身につけ、問題の解決や探究活動に主体的、創造的、協同的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする。」

 

それで具体的に何をやっているのかといえば、各学校、クラスによってまちまちです。私たちの見聞した例でいえば、地域社会と連携して1年を通して農業や漁業に取り組んだ子どもたちがいます。あるいは、クラスの中で動物を飼育し、繁殖させて卵の孵化に取り組んだ子どもたちもいます。老人福祉施設や障がい者福祉施設を訪問して、自分とは違う人々と交流した子どもたちもいますし、地域の会社や商店や役所などで職業体験をした子どもたちもいます。

 

また、彼らは、一方的に教師から「正解」を教えられるのではなく、どんな答えでもいいから自分で考えなさいという教育を受けてきました。そのため、自分の考えと他人の考えが異なることを実感として理解しています。

 

このような「総合的な学習」は、地域コミュニティが崩壊して社会教育が難しくなった部分を学校で補っているともいえますが、そればかりでなく、人間的な成長に寄与もしています。ゆとり教育を受けた世代は、それ以前の世代に比べて、社会に対する視野が広く、自分の考えを他人に押しつけない傾向があるからです。

 

世界第二位の経済大国で一億総中流社会だった日本ではなく、二極化の進む格差社会で、先行きの分からない不安を抱きながら生きてゆかねばならない現実を肌身に感じているからでしょうか。彼らが「いい子」なのは、流動性の高い社会で他人との摩擦から身を守るために身につけた処世術なのかもしれません。

 

ゆとり世代は「処世術」を身に着けている?
ゆとり世代は「処世術」を身に着けている?

マスメディアの報道が「ゆとり偏見」を加速させた

ゆとり教育への批判としてマスメディアで拡散された「短絡的な誤解」には、「円周率は3」とともに「競争の排除」がありました。確かにゆとり教育には、「相対評価から絶対評価への変更」のように、過度な競争を忌避する傾向はありましたが、すべての競争をむやみに排除しようとしたわけではありません。

 

そもそも学校の現場から競争の要素をまったく排除することなどできません。一斉テストを行えば、他人と比較したいと思わなくてもその優劣は明確になります。大学全入時代が到来しても、学校単位では合格者と不合格者が出るものですし、それはやはり受験競争といえます。そもそも人生に大なり小なり競争はつきものですから、学校の現場だけから競争をなくしてもあまり意味はありません。

 

一方で、過度な競争は子どものやる気を削ぐため、学力向上に役立たないという説も根強く唱えられてきました。そこでゆとり教育では、競争を煽らないようにしたいとの気持ちが働いたのか、一部の学校で、運動会の徒競走で順位をつけないようにする、などの取り組みが行われました。

 

このような実験的な取り組みを行ったのは、先進的な一部の学校だけだったのですが、マスメディアの報道が誤解を呼び「ゆとり教育では、手をつないで皆でゴールインする」といった誤解が広まってしまいました。実際にそのようなことをしていた学校があったかどうかは分かりません。幼稚園や保育園における取り組みと、話が混ざっている可能性もあります。

 

いずれにせよ、従来の学校教育からの改革を目指したゆとり教育は、数多くの批判にさらされることになりました。しかし、施策に対する評価はともかく、ゆとり教育の理念がそれほど間違っていたとは思いません。

 

学習意欲や学力は、「勉強しないといい学校に入れない」などとケツを叩いて煽られるのではなく、「これはどうなっているんだろう」などの自発的な好奇心や探究心からもたらされるものだからです。企業の成長や製品の向上には市場競争が不可欠とされていますが、それは教育現場での子どもたちの学力向上とはわけが違います。

 

最も大きな違いは、企業は自らが望んで市場にプレイヤーとして参加しているのに対し、子どもたちはそうではないことです。義務教育で学校に入れられている子どもたちは、学力向上競争に自分たちで進んで参加しているわけではありません。

 

学校の目的は、それぞれの子どもたちがより良く生きられるように必要な力を身につけさせることです。もちろん、部活動のスポーツであれば、大会参加や試合などの競争が、実力向上に役立つこともあるでしょう。勉強が大好きで自分から進んで受験競争に参加する一部の子どもたちであれば、競争は良い刺激になるかもしれません。

 

しかし、学校にいるのはそのような子どもたちばかりではないのです。ゆとり教育は、子どもたちに競争よりも協調を教えました。実際に社会に出て生きていくにあたっては、他人を蹴落として前に出ていく競争意識よりも、自分が一歩引いてでもチームを前進させる協調意識のほうが重要だからです。その結果として、ゆとり世代の若者は優しくなり、犯罪数も減少しました。いったい、それの何が悪いというのでしょうか。

 

明治大学で20年以上にわたって教育学を教える齋藤孝教授は、その著書『若者の取扱説明書「ゆとり世代」は、実は伸びる』で、次のように書いています。

 

「『ゆとり世代』と呼ばれる昨今の若者たちは、世間的にはあまり評判がいいとはいえない。人口減もあり、学力も下降気味だ。しかし、いわゆる『学力低下』もさることながら、もっと気になるのは覇気のなさ、積極性の欠如である。このままでは、大学の授業も高校や中学レベルまで引き下げて、手取り足取り指導しなければいけなくなるのではないか。」

 

確かに「ゆとり世代」は大人しく、真面目で、反抗期すらないこともしばしばです。一昔前の若者のイメージに比べて元気がないように見えます。しかし、それは必ずしも彼らの実力がないことと同義ではありません。たとえば、1994年生まれでゆとり世代の代表格である大谷翔平選手は、イチローやダルビッシュといった日本人メジャーリーガーの先輩と比べると、年俸が安くてもいいから自分にとって良いチームを選ぶなどといった、その真面目さや好青年ぶりが際立っています。

 

だからといって、彼の実力が劣っているわけではないことは、その成績が十分に証明してくれるでしょう。フィギュアスケートの羽生結弦選手も、1994年生まれで大谷翔平選手と同い年ですが、くまのプーさんのぬいぐるみを手放さず、王子様と呼ばれるほどの優男でありながら、長年にわたって世界ランキング1位に君臨するなど、その実力は折り紙つきです。

 

齋藤孝教授によれば、昔の若者は積極的だが、いいかげんだったそうです。今の若者は消極的だが、真面目です。社会人としての理想は積極的で真面目なことだから、昔に比べて悪くなったわけではないとのことです。確かにその通りです。ゆとり世代を「元気がない」と残念に思うのは、昔の自分たちと比べて、その欠点が目につくからです。

 

しかし、昔の自分たちよりも良くなっている面もあることに、私たちは積極的に目を向けているでしょうか。齋藤孝教授は、結論として、ゆとり世代は驚くほど伸びることが分かったと書いています。スマートで何でもそつなくこなす彼らは、なかなかがむしゃらに一つのことに取り組んではくれないのですが、管理職が積極的に場を整えて気持ちを盛り上げてあげることで、驚くほどの好成績を残すことができます。

 

このとき管理職に求められるのは、むやみな精神論や、昔はこうだった式の根性論ではなく、やらざるを得なくなるような環境づくりと、やる気の出るような言葉かけです。本気で仕事に取り組めば、若くて体力もあり、ITツールの使い方にも習熟している彼らは、効率よく良い結果を出すことができます。問題は「これくらいのことをしておけば怒られないだろう」と考えているかのような、積極性の欠如です。

 

 

西村 直哉

株式会社キャリアネットワーク代表取締役社長

人材育成・組織行動調査のコンサルタント

 

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