若い敏腕社長だからこそ見逃してしまうリスク
自社株相続のトラブルでよくお見かけするのが、オーナー社長がまだ若く、「相続対策などまだこれから」と考えているうちに急死してしまった、というケースです。私たちのクライアントではなかったのですが、一度税務のご相談にいらしたHさんは、まさにそんな事例の典型でした。
二代目社長のHさんは、その優れた経営手腕で、お父様が創業された会社を大きく発展させた素晴らしい経営者でした。資本金は3000万円。従業員数45人。総資産額30億円、年間取引金額25億円という金属加工会社です。決算書を見せていただいたところ、金融機関からの借り入れもなく、まさに優良企業と呼ぶべき会社でした。
ところがそんな会社ですから、試算してみた株価は1株あたり150万円程にもなりました。自社株の相続税評価額はおそらく数十億円にのぼるはず。そのほとんどをHさんが所有している上、会社に対して数億円分の貸付もあったため、そのままでは非常に高額の相続税を課されるのでは、と心配される状況でした。
さらにお話をうかがうと、顧問税理士には法人税の申告を任せているだけで、相続税についてまったく意識したことがなかったのです。もともと相続のご相談でいらしたわけではなかったのですが、私たちもさすがに心配になり「それなら一度、相続税のシミュレーションだけでもしてみては」とアドバイスさせていただきました。
「あのとき、もう少し詳しくお話ができていれば…」という悔しい思いは、今も残っています。
というのも、Hさんは相続について考え始めるかどうか迷われたのですが、結局、まだ60代前半と若く、仕事も忙しいため、「いずれそのうちに」と判断され、結局そのままになってしまったのです。
Hさんの奥様が私の名刺を持って、事務所へやって来られたのは、それから2年ほどたったある日のことでした。前年にご主人が急死された、ということでした。
「6億円」もの相続税はなんとか払えたものの…
ご相談を受けた際に心配した通り、相続でやはり大きなトラブルが発生していました。Hさんには、長男・長女と2人の子どもがいたのですが、2人とも会社経営にはタッチしていない状況でした。
株式や貸付などの資産は奥様が2分の1、子どもたちが4分の1ずつを受け取る法定相続に沿う形で分配されたそうです。6億円にものぼる相続税は、なんとか工面して納税できたものの、結婚して遠方に住む長女は、相続した株式の買い取りと貸付金の返済を要求。また他社でサラリーマンとして働いている長男はまだ若い上に事業経営の経験がなかったため、会社を継ぐことに消極的でした。
長女が求める株式の買い取りと貸付金の返済には、約5億円もの費用がかかります。理論的には会社が負担することもできますが、Hさんの会社には当時、もうそれだけの余剰資金がありませんでした。
後継者については、従業員や親族の中に事業を承継してくれる人がいないか、探してみましたが、見つかりません。相続税や長女の要求に応えるための資金負担で、一家の台所事情が苦しくなる中、事業を承継することは難しい、として結局長男も社長就任を断念されたそうです。
Hさんがお父様からしっかり承継し、頑張って育て上げた会社は、M&Aで会社に買い取ってもらうことで、幕を閉じることになってしまったのです。
もし2年前にHさんが生前の事業承継対策の重要性に気づいて、相続についての計画を立てていれば、おそらく事態は違ったでしょう。相続税の負担ははるかに軽減できたはずですし、そうなれば会社も存続できたのでは、と思われます。
まだ若いから、といって対策を講じなかったために、残された遺族にとっても、亡くなった本人にとっても、悔やまれる結果となってしまったことが、残念でなりません。
Hさんのケースでもし対策を立てるとしたら、鍵となるポイントは2つあります。
まず何より大切なのは、生前、元気なうちに後継者を決めておくこと。息子さんと話し合って、後継者になってもらう、もしくは従業員の中から有望な人材を見つけて育成する、という手段があります。
さらに、その後継者が円滑に事業を承継できるよう、環境を整えてあげることがもうひとつの鍵です。Hさんのケースでは、巨額の相続税が大きな障害になっていましたので、この税負担を軽減することを考えなければなりません。
そのためにはなるべく早く、信頼できる税理士を見つける必要があります。というのも、事業承継や相続税対策という業務は、税理士業務の中でも特殊であり、通常の確定申告や法人税の申告とは違う専門性が求められるものだからです。税理士であれば誰でもできる、というものではありません。
Hさんにも顧問税理士がついていたことを考えると、この点はぜひ、読者のみなさんにもしっかり意識しておいていただきたいと思います。