コントロールできているはずの情報に、大きな変化が…
「明日から1週間、パソコンもスマートフォンも利用禁止!」と言われたら、筆者は、驚きのあまり頭が真っ白になるかもしれない。筆者だけではない、ほとんどの人が「困る」のではないだろうか。
「いつでも、どこでも」インターネットにアクセスするようになってから、かれこれ10年以上が過ぎようとしている。朝、目覚めてから眠りにつくほんの少し前まで、スマートフォンやタブレットを手放さなくなった。同僚と仕事の打ち合わせをしているときも右手でスマートフォンをいじっている。カフェで友人と会話をしながらも、遠くにいる他の友人とチャットをする。そんな習慣を持つようになった読者も少なくないだろう。
「なるほど、そんな方法があるのですね!」。新入社員だったころ、混雑した電車内で上手に4つに折りながら新聞を読む方法を先輩から教わり、「さすが!」と感心した。当時、電車内は、新聞や週刊誌、マンガ雑誌を読む乗客であふれていた。
20年後の今はどうか? 駅のホームで電車を待つ間も吊り革につかまって電車に揺られているときも、多くの人がスマートフォンの小さな画面をのぞき込んでいる。LINEで連絡を取る人、Youtubeで動画を視聴している人、Googleカレンダーでスケジュールを確認している人とさまざまだ。先輩から、せっかく教わった新聞の4つ折り方法を後輩に得意げに教えることは、残念ながらなさそうだ。スマートフォンでネットニュースを見るほうが断然、便利だからだ。周りを気にせず、好きなタイミングで知りたい情報を調べられるし、気になった情報のURLをコピーして、その場で同僚に送ることもできる。今は、仕事でもプライベートでもパソコンやスマートフォンが不可欠である。
私たちは、インターネットを中心に増え続けていく情報を柔軟に受け入れ、対応してきた。デスクトップパソコンからノートパソコン、スマートフォンへとデバイスを進化させ、それを駆使することで「情報」をうまく使いこなし、生活やビジネスをより豊かにしてきた。「情報」の取り扱いには、だいぶ慣れてきた感がある。しかし、この「しっかりとコントロールできているはずの情報」に、私たちが知らない大きな変化が起きているとしたら。
筆者は、エネルギービジネスにおける情報・サービス産業への可能性を伝えるには、まず「情報」の未来について再認識することが大切だと考えている。その理由から、ここでは、「社会の大きな変化」、「ビジネスの世界において、これまで以上に情報が価値を高めていく理由」、「情報が持つ独自の経済特性」などについて改めて共有していく。
情報のデジタル化にひたすら努めてきた私たち
手書きのメモやアルバムの写真。これまでアナログに管理されていた情報は、パソコンやスマートフォンの利用とともに「デジタル化(データ化)」されてきた。例えば、GmailやLINEで友人にメッセージを送る。その過程で文章や写真は、「アナログ」から「デジタル」に変換される。
筆者も、これまで大量の情報を「デジタル化」してきたひとりだ。12年前からメールサービスとしてGoogleのGmailを愛用しているが、調べてみたところ、これまでの送信メール数は3万6000件を超えていた。平均しても1年間で3000件。1日8~10件程度のメールを送信していることになる。
メール以外にも2010年ころからFacebookやLINEなども活用しているから、インターネットを利用して誰かに送ったメッセージは、1年間に5000件を超えている。少なくとも毎年、5000件以上の「情報」をデジタル化してきたことになる。これまでは、私たち人間が中心となって、パソコンやスマートフォンを使い情報を「デジタル化」してきた。
デジタル化作業に参戦する「新たなプレイヤー」とは?
「誰が情報をデジタル化するのか?」ここに大きな変化が起きている。最近、情報を集めてデジタル化する新たなプレイヤーが出現した。人ではなく機械だ。「えっ! 機械がどうやって情報を集めてくるのか?」と疑問に思う読者も多いだろう。
この変化には、複数の新しいテクノロジーが活用される。新しいテクノロジーとは、センサーテクノロジー、IoT、5G(第5世代移動通信システム)、クラウドコンピューティング、AIなどだ。
機械が情報を集めてデジタル化していく一連の流れを、家庭のリビングを例に紹介する。デジタル化の入り口は、家庭にいくつものセンサーやIoT機器、カメラを設置することから始まる。それらが情報を収集する最初の機械といえるだろう。センサーやIoT機器がリビングから集める情報は多種多様だ。例えば、部屋の中の気温や湿度、部屋の明るさ、話し声、テレビの声、画像、電化製品の利用状況などになる。
集められた数値データや画像データは、インターネットを経由して、クラウドコンピューターに送られ蓄積されていく。大量の情報をクラウドコンピューターに素早く送り込むのは、現在の100倍のスピードで通信ができる5Gの技術だ。クラウドコンピューターに蓄積された情報はAIにより分析される。複数のテクノロジーがつながり合うことで、機械が私たちの生活の中の情報を収集し、蓄積・分析できる環境が生まれた。
あらゆる情報が勝手にデジタル化され、蓄積される
これまでの人に加えて、これからは機械も情報を集める。機械は、私たちが寝ている間も含めて24時間365日休まず情報を集め続けてくれる。その結果、蓄積されるデータの「量」は、これまで以上の勢いで増加していく。「量」の増加とともにもうひとつ重要な変化は、機械が集める情報の中に、これまでとは異なった「質」の情報が含まれるという点である。人が情報を集める場合は、人が理解できる情報、利用したい情報であることが多い。具体的には、誰かへのメッセージ、見てわかる数値、動画、写真などだ。対して機械は、「人が感知できないほどささいな情報」、「人が認識しにくく集めることができなかった情報」なども収集する。加えて、私たちが「使うかどうかわからない情報」というものも集められ、蓄積されていく。
ビルのエレベータを例に取ってみよう。エレベータの「時間帯ごとの利用者数」や「フロアごとの昇降頻度」などの情報は、誰もが利用価値があると納得できる。なぜなら、エレベータの運営の効率化を考える際に役に立つ情報だからだ。
では、エレベータの「搭乗者の服装や服の色」についてはどうか?どのように活用したらよいかちょっと見当がつかない。「服装や服の色」から季節感、搭乗者の年代くらいは推測できるかもしれないが、どこまで利用価値のある情報か判断が難しい。もし、情報の収集に人の手がかかるのであれば、人件費との兼ね合いから、「利用するか、しないかわからない情報」をわざわざ集めることはしない。しかし、機械が勝手に集めてくれるのであれば、話は別だ。無数に設置されたセンサーやカメラ、IoT機器は、エレベータの搭乗者の服装情報も含めて自動的に集めて蓄積し続けていく。
これからは、「そもそも使うかどうかがわからない情報」までが自動的に集められる時代になるのだ。つまり、私たちを取り巻く「現実世界」の情報が、ことごとく「デジタル化」され、蓄積されていく。
便利で快適な未来は「AIが人間を支配し操る」社会か?
機械が自動的に現実世界の情報を集め続ける未来は、集まった情報をうまく使いこなすことで生活や仕事がより便利になっているであろうことは、たやすく予想できる。今以上に便利で快適になった未来は、バラ色であるが、同時に不安ももたらす。「必要な情報」だけでなく、「使うかどうかわからない情報」も私たちの知らない間に集められるからだ。集められた情報の中にはもちろん、個人のプライバシーに関連する内容がたくさん含まれている。まさに個人情報の塊(かたまり)であり、取扱いには非常に注意が必要だが、その情報は誰が守るのだろう?情報漏洩(ろうえい)が発生し、悪意のある第三者が情報を閲覧できたら大問題である。バラ色の未来は、情報のセキュリティ強化が一層求められる時代といえる。
気をつけなければならないのは、セキュリティの強化だけではない。進化するAIの存在だ。AIは、集めた情報から私たちの生活パターンを分析し、行動を予測する。AIは、私たちの生活をサポートするだけでなく、AIが考える最適な行動へ、私たちを「さりげなく」誘導するかもしれないのだ。
そんな未来を予言した小説がある。ショートショート(短編小説)の第一人者である星新一氏が、40年以上前に発表した『声の網』という作品だ。小説には、今でいうAIスピーカー(小説では電話網)が登場する。家庭のあらゆる会話を電話網が勝手に盗聴し、会話から学習した電話網の先につながった無数のコンピューター(今でいうクラウドコンピューターとAI)が、少しずつ賢くなっていく。一人ひとりの行動をコントロールしながら、最終的には、人間社会を支配していくという話だ。人々は、まさか自分たちが電話網とコンピューターにコントロールされているとは気が付かず、いつもと変わらない日常をなんの疑問も持たずに楽しく生きていく。
『声の網』を読んだのは、つい最近なのだが、筆者は、人間がコンピューターにコントロールされながらも、それなりに幸せに生きる世界の「ユーモラスさ」と、なんとも言えない「気味の悪さ」を感じた。この感覚は、実は以前にも感じたことがある「気味の悪さ」だ。最初に感じたのは1990年代後半。そう、インターネットが社会に普及し始めたころだ。増え続ける情報の波を、私たちはコントロールできるのだろうか。コントロールしているように感じているが、本当は、私たちは情報に操(あやつ)られているのではないか。
インターネットが一般化するにつれ、「日々の情報に私たちが対応しきれなくなるのではないか?」、「玉石混交の情報が、考え方や行動に悪影響を与えるのではないか?」と問題点を指摘する多くの論文や書籍が出版され、インターネット懐疑論を主張する専門家もいた。彼らの主張は、もっともであった。
では、誰もインターネットを利用しなくなったのか?結果がその逆となったのは、読者の皆様もおわかりだろう。インターネットは爆発的に普及した。今や電気が通っていない辺境でもwi-fiなどの無線インターネットだけはつながることもある。ロウソクの灯(あか)りで生活する人が、スマートフォンでYoutubeを観ていることだってある。私たちは、「気味の悪さ」がつきまとうインターネットを受け入れた。インターネットが与えてくれる便利さや楽しさが「気味の悪さ」を凌駕(りょうが)した。
これから先の未来も、おそらく同じ道筋をたどることになる。現実世界のあらゆる情報が集められるおかげで、私たちの生活は今よりも便利に、快適になる。「気味の悪い」感覚は徐々に薄れていき、私たちは、生活のあらゆる情報が収集される社会を「当たり前」と受け入れていく。
江田 健二
一般社団法人エネルギー情報センター 理事