「全財産を相続人全員の共有物に」と指定する遺言書
遺言書の中には、遺言者が「相続人らによかれ」と思って作成したにもかかわらず、かえって「迷惑」をもたらすようなものもあります。このような遺言書は余計な相続トラブルをいたずらに引き起こす原因となりかねません。「他山の石」とするために、私が過去に目にしたケースなどから「迷惑な遺言書」の例を紹介しましょう。
まず一つ目は、家族は仲良くと願うあまり、「全部の財産を相続人全員の共有物にする」と定めた遺言書です。例えば、「すべての財産を以下の者に2分の1ずつ渡す」というような遺言を残してしまったら、相続人は大変なことになります。建物、土地などをすべて半分ずつ分けなければならないことになるわけですが、そのようなことは事実上、不可能といえます。こんな実現不可能な遺言書なら、最初から書かないで法定相続のルールに委ねてしまうほうが適切です。
同様に、相続人が複数人いる場合に、ただ「平等に相続させる」となっているのも、困りものです。やはり、「○○に○○を相続させる」と、具体的に相続させる財産と相続人を指定していなければ、どのように分割すればよいのか、遺族は困惑するだけでしょう。
兄弟が何人いようと基本的には長男が家督相続人となり、家の財産のすべてを承継するという時代が終わり、憲法の精神に則った平等意識が広がり、財産は平等に共有するという価値観に変化してきました。そして現在では問題点の多い共有の相続を避けるようになったと思います。
「財産を会社に相続させる」と遺言する会社経営者
なお、これとは逆に、遺言者お気に入りの相続人一人だけに、全部の財産を相続させると書かれたような遺言も問題があります。
例えば、「○○は、自分の面倒をよく見てくれたから、預貯金も不動産もすべて渡す」というような遺言書です。また、似通ったケースですが、残された家族のことを考えず、「世の中のために全部の財産を寄付する」というような内容の遺言も大変迷惑なものになる恐れがあります。極端な場合には、自分の個人財産を会社に全部相続させるという遺言書を残す人もいます。
このような遺言書を作成する人には、会社が自分の人生の象徴のようなものになっており、死ぬ最後までその社長あるいは会長でいることに執着し続けていたようなタイプの人が多いように思います。遺言書を残した本人にとっては、満足のいく遺言書なのでしょうが、果たして遺族がそれに納得しているかどうかは別問題となるのです。
曖昧な遺言書では相続が認められない危険がある
それから、微妙な言い回しや暖昧な表現で書かれた、意味を正確にとりにくい遺言も非常に厄介です。例えば、相続させる財産の数量について「2分の1相当分」などと指定しているような場合、2分の1ぴったりなのか、それともそれから若干オーバーしても構わないのかがはっきりしていません。
これでは、どのように財産を相続人に分割すればよいのか確定できません。はっきりと「2分の1」や「85%」などというように割り切れる形で明確に示すべきです。また、同様に「自宅周辺」という言い方も「周辺」という表現が不明確であり問題があります。しかも、この場合には仮に「自宅」に限定して解釈しても問題が残るケースがあるでしょう。
例えば、2カ所、3カ所と複数の住まいを持っている場合には、そのうちのどれが「自宅」なのかについて争いが起こる恐れがあります。不動産に関しては、「アパート」や「貸家」「別荘」なども、被相続人が複数所有している例が珍しくないです。所在地などを住所ではっきり示していればまだしも、そうでなければ、どの「アパート」「貸家」「別荘」を意味しているのかが分かりません。
さらに、「○○を相続させたいと思う」という言い方は、厳密にいえば、「相続させる」という確固たる意思を示しているわけではなく、相続させようと思っているだけで、まだ相続させるとは決まっていないとも解釈できます。つまり、はっきりしない微妙な表現といえます。このことは、商取引などを念頭におけば理解できるでしょう。
「売ろうと思う」「買おうと思う」では契約は成立しません。「売る」「買う」と断言して、初めて取引は成立するのです。
法的な文書は万事、曖昧な表現を嫌うのです。他の相続人への配慮などから、そうしたもってまわった言い回しをつい使ってしまうのかもしれませんが、やはり遺言書の中では、はっきりと「相続させる」という断言口調による記載が必要です。
「相続させたいと思う」という文言の遺言書では、銀行や法務局が、「これでは相続を認めることができない」と、結果的に預金の名義変更や不動産の相続登記手続きのトラブルにつながります。
一人だけをほめた遺言書は遺族にショックを与える
また、事業や家の後継者を大事にするあまり、特定の相続人のみに気遣いした遺言も遺族の間に波風をもたらす恐れがあるでしょう。
過去に目にした例では、企業を経営していた被相続人が、遺言書の中で長男について言及し、「お前は本当によくやってくれている。どうか末永く、会社の繁栄と躍進のためにこれからもがんばってほしい」と書いてあるだけで終わっているものがありました。
触れているのは、このように長男と会社のことだけで、他の家族には一切メッセージを残していませんでした。初めて読んだときには本当に驚きました。相続する財産の指定に関しても、「長男は自分の後継者なので、○○と○○を与えたい。残りの財産については、他の相続人で分けてもらいたい」となっており、ひたすら長男と会社のことだけを気にかけているような印象なのです。
もちろん、他の家族に対しては愛情がないというわけではないはずです。自分が築き成長させてきた会社への思いが強すぎたために、他の家族への配慮がおろそかになってしまったのかもしれません。遺族の漏らしていた「あの人は、本当に会社人間だった……」という言葉を今でも覚えています。
いずれにせよ、このような遺言書を残された相続人の思いは複雑でしょう。ことに、長男以外の子供たちの中には、「オヤジにとって、自分たちはどうでもよい存在だったのか」という落胆の思い、あるいは失望感を抱いた相続人もいたに違いありません。
愛人だけを愛しているという遺言書
「本当に愛していたのはお前だけだ」と、愛人のみへの感謝や愛情を込めた遺言を残されたような場合にも、残された遺族はひどく傷つきます。
かつてある有名タレントが、実際にこのような遺言書を残したことがあったそうです。ただ、そのケースでは、そのタレントの本妻との間柄が完全に冷えて別居しており、愛人と生活し事実婚状態となっていました。恐らく、なかなか離婚に応じてくれなかった本妻への意趣返しの気持ちを込めて、あえてそのような文言にしたのでしょう。
もっとも、誰か特定の人に過剰な思いを抱いていると、妻への配慮などは一切考えずに、このような遺言書を残してしまう恐れは十分にあります。それとは逆に、妻への愛情が強すぎると、自分の死後、その人生を不当に縛ってしまうような遺言書を残す危険性があるかもしれません。私が過去に実際に目にしたケースでは、自分の死後、妻に再婚しないよう求める内容の遺言書を書いた人もいました。これなどは、もしかしたら「最も迷惑な遺言」といえるかもしれません。