意に沿わない形で社員を頑張らせるのは非効率
社員一人ひとりの価値観を尊重し、「好きなように働ける」という方針は、どのようにして生まれたのでしょうか。
そもそものきっかけは、社是にある『三方ヨシ』のひとつ「従業員ヨシ」と同じで、最古参の社員から「会社を大きくすることは迷惑」と言われ、働き方の価値観は人によって違うと気づいたことにあります。
法人化して3年目くらいのときです。まだ個人事業主だったとき、初めて雇ったのがNさんという私より一つ年上の男性でした。一緒に頑張って法人化し、売上は順調に伸びていました。「よし、もっと大きくするぞ」と思っていた矢先、Nさんからこう言われたのです。
「これ以上、会社を大きくするのは止めてください」
小さな会社ですがNさんには専務になってもらっていました。会社の売上が伸びれば、Nさんにもっとたくさん給料だって払えるようになります。でも、Nさんの考えは違ったのです。すでに結婚していたNさんは、自分のプライベートを大切にしたいと言うのです。
会社を大きくしていくには、取引先を増やし、他社との競争に打ち勝っていかないといけません。社員を増やし、仕事を教えたり、現場を管理したりする必要もあります。そこまで仕事に打ち込むことは、Nさんの性格やライフスタイル、ひと言でいえば「価値観」とは違うと言うのです。
正直、びっくりしました。と同時に、「そういう考え方もあるんだ」と妙に納得しました。そして、Nさんの希望通り、現場で工事を担当する一般社員になってもらったのです。
Nさんは部下のいないマネージャー待遇として、今も勤めてもらっています。先日、会社設立20周年の記念パーティーを開いたときは、勤続20年として表彰させてもらいました。
普通の会社なら毎年毎年、会社全体でも社員一人ひとりでも目標は高く、計画数値は大きくなっていくでしょう。しかし、よく考えると社員の中には限られた時間だけで頑張りたいと思う人もいるし、またいてもいいと思うのです。それを一律に、会社の目標や計画を押し付け、意に沿わない形で頑張らせても非効率だし、お互いに不幸になるだけではないでしょうか。
建築業が「増員」を怠れば、社員に無用なストレスが…
社員一人ひとりの価値観を尊重し、「好きなように働ける」という方針を掲げるようになったもうひとつのきっかけは、創業以来、悩まされてきた人手不足です。
法人化した当初はバブル崩壊により社会全体で求職者は増えていたはずですが、地方の吹けば飛ぶような零細企業で、しかも建設不況の真っただ中。募集を出しても来てくれる人はほとんどいませんでした。最近、人手不足で困っていると言う企業が少なくありませんが、当時の私たちの会社ほどではないと思います。
その後も、私の業務時間の何割かはいつも人を採用することに割いてきました。社長の私がアプローチしても振られるということを繰り返す中で、多くの人から仕事についての悩み、不安、理想の働き方についての話をいろいろ聞きました。「よし、そういう悩みや不満に応えればうちに来てくれるかもしれない」と考えて社内の制度や仕組みに反映していったのです。
もちろん、収入面でも大手企業をリサーチして、同等の待遇になる様にしていきました。「好きなように働ける」ということは、社員一人ひとりの仕事に対する価値観を尊重し、幸福度を上げ、人材を確保するための方法だったのです。人材採用についての苦労が身に染みているので、私たちの会社は創業以来ずっと「増員」を経営の最優先目標に掲げています。「増収」や「増益」はその後です。
そもそも建築業は基本的に、現場ごとに多くの職人や技術者が人手で仕上げていく一品生産の世界です。工場で大量生産する工業製品などとは違って生産性を上げるといっても限界があります。それなのに、「増収・増益」できるまで「増員」しないで現場にだけ任せていては、品質やサービスの低下を招き、社員にも無駄なストレスが生じます。
ここでいう「増員」には2つの意味があります。ひとつは当たり前ですが、あらゆる手を尽くして人を採用することです。もうひとつは、採用した人を辞めさせないことです。いくら採用に力を入れても、退職率が高ければ底の割れた鍋に水を汲むようなものです。なるべく長く、私たちの会社で働いてもらうためにそれぞれの考え方や事情を聞き、できる限り対応する。それが「好きなように働ける」ということにつながっていったのです。
バリバリ働くことを熱望する社員もいる
一方、会社と一緒に成長したいという社員もいます。それがいまの執行役員のIさんです。Iさんは私たちの会社では3番目に古い社員です。
先ほどのNさんの次に入社してくれた人です。もともとIさんは私と同じ一人親方として若い後輩2人を雇って電気工事の仕事をしており、私と組んで大きな案件をこなしたりしていました。ところが、私が法人化する少し前のことですが、交通事故で足に大怪我を負ってしまいました。何度も手術を繰り返し、4年ほど入院していました。
その間、私が彼の後輩を預かっていたのですが、Iさんにもいずれは私たちの会社に入ってもらい、一緒に仕事をするつもりでいました。Iさんは事故の後遺症で工事現場に出ることは難しい状態でした。そこで、障がい者となったIさんにこなせる仕事を用意したいと考えて、電気関係の設計や保守管理に業務範囲を広げていったのです。最近も「会社の成長と一緒にバリバリやるか?」と聞いたら、「やります!」と答えてくれました。
私たちの会社にはここ数年、大手企業から部長クラスの人材にどんどん転職してもらっています。その中で本人もプレッシャーを感じているでしょうが、さらに活躍してくれることを期待しています。
瀬古 恭裕
株式会社鈴鹿 代表取締役