前回は、実際にM&Aを選択した場合、どのような流れで物事が進んでいくのかを説明しました。今回は、クリニックM&Aを成功させることの難しさについて、具体例を交えて見ていきます。

素人がクリニックM&Aで成功する確率はほぼゼロ!?

クリニックM&Aは、大まかな流れや方法は一般的なM&Aと大差ありませんが、一般企業のM&Aよりはるかに手続きが大変です。「医業」という行政の許認可ビジネスならではの特異性や難しさもあります。それに、医療は患者やその家族、従業員など人間相手なので、そこで生まれる利害関係者の多さもM&Aを複雑にしています。

 

個人開業なのか、医療法人なのか、医療法人でも持ち分ありの旧法の医療法人か、持ち分なしの新法の医療法人か、承継する相手の事業形態はどうかなど、類型や開設主体の条件によっても手続きや進め方、注意点などが変わってきます。

 

医療法人のM&Aには「持ち分譲渡」と「事業譲渡」があります。持ち分譲渡であれば代表者が変わるだけですが、事業譲渡の場合は、医療機関コードも契約主体も変わります。その分、手続きなどが煩雑になるので、万一にも間違いが起きないように細心の注意を払わなくてはなりません。手続きや契約を誤ると、後継クリニックの開業ができなくなってしまう恐れがあるからです。

 

クリニックの譲渡でお金が動くと、税務の問題も必ず出てきます。余計な税金を負担せずに済むためには、税務にも精通しておかなければなりません。医療、法律、税務、労務など様々な専門知識が必要になるため、素人がやるには非常に荷が重くなります。

 

M&Aを専門にしている業者でも、クリニックのM&Aとなると特殊すぎてミスや失敗をすることがあるくらいです。経験も知識もほとんどない素人では、いくら細心の注意を払って努力しても、手ぬかりなく完遂できる可能性はほぼゼロといっていいでしょう。

 

例えば、M&Aのプロでも大失敗をしたケースがありました。カウンセリングが不十分だったために、M&Aが白紙に戻ってしまった事例です。

 

筆者の事務所では開業希望医側の代理人として交渉に当たっていたのですが、譲渡を希望する医師側の翻意により、最終締結の直前でご破算になってしまいました。

 

後から聞いた話ですが、譲渡を希望していた院長(A先生とします)自身は、本心としては自分でクリニックを続けたかったようです。しかし、自分たちとの時間を大切にしてほしいという家族からの要望で、クリニックの譲渡を決意しました。

 

このクリニックは立地的にも恵まれており、患者数も十分見込め、価格的にも妥当という条件が良かったため、マッチングはスムーズに整いました。そして、M&A成立に向けて話はとんとん拍子に進んだのです。

 

ところが、いざ最終締結をするという段になって、A先生がクリニックを手放すことに躊躇し始めました。一度M&Aを決めた以上、話をなかったことにしたいとは言い出せないと悩んでいたようですが、やはり引き続きクリニックでの診療を続けたいとついに本音を口にしたのです。こちらとしても驚きましたが、A先生の意志は固く、先方の代理人による説得にも応じようとしません。

 

結局、譲受側の私たちが諦めるかたちで終わったのですが、クライアントの本心を聞き出すことの大切さを思い知った出来事でした。

 

もし事前相談の段階でも、その後のどこかのタイミングでも、代理人が本音で話せる関係を築けていたら、A先生の気持ちをもっと丁寧に聞き出し、相手の気持ちに踏み込んだカウンセリングができていたのかもしれません。

 

譲渡側の代理人がいい加減な聞き取りをしていたとは思いません。A先生自身、腹をくくったつもりでいたのでしょう。だからこそ、何度も交渉の席に着き続けたのです。

 

けれども、交渉が進むにつれてA先生の気持ちは変化していきました。A先生の表情や素振りや話し方などを注意深く観察していれば、きっとどこかにサインが出ていたのかもしれません。

 

譲渡を希望する医師側だけでなく譲受を希望する医師も巻き込むM&Aは、本来途中で翻意があってはいけません。方針がブレないよう、念には念を入れてカウンセリングをしなくてはならないのです。

 

筆者もこのケースを通して多くのことを学ばせてもらいました。自分たちのカウンセリングを反省し、クライアントが「本音で話せる相談相手」になるにはどうすればいいかを、スタッフ全員で話し合いました。

 

また、クリニックのM&Aの場合、M&Aの専門知識はもちろん、医業特有の許認可やクリニックならでは運営ノウハウなどにも精通していなければなりません。

信頼できるアドバイザー選びがM&A成功の必須条件

ここで、売り手の相談相手である税理士の実務経験不足により、M&Aが成立しなかった事例を紹介します。

 

筆者の事務所は買い手の医師側の代理人として交渉にあたっていました。売り手の医師は65歳。体調不良を理由に20年続けてきた内科のクリニックを承継したいというご意向でした。50坪ほどのビル内に開業しているクリニックでしたが、何度か内装をリニューアルされており、レントゲン、内視鏡他の医療機器もまだ十分使用可能な状態で、患者も一日40人~50人来院されている、極めて優良なクリニックでした。

 

買い手の医師は1000万円以上の対価で承継を希望しました。売り手のクリニックは医療法人で運営されていたため、出資の譲受による株式の移転を提案し、双方の医師の間で合意に至っていたのです。

 

しかし、売り手の税理士に承継事務の経験がなく、筆者の事務所が提案したM&Aのスキームをご理解いただくことができずに破談となりました。

 

ところがこの事例には後日談があります。

 

しばらくして、譲渡希望の医師から筆者の事務所に連絡がありました。内容は、開業以来20年の付き合いのある税理士に理解がないのは残念だが、医療法人を解散することにしたというのです。しかも、クリニックの内装や医療機器を廃棄するのに400万円もかかることを知り、無償でもいいので譲受を希望していた医師に使用してもらい、引き続き患者さんを診てほしいとのことだったのです。

 

買い手の医師は、言うまでもなくありがたくこの申し出をお受けし、今では当時の1.5倍ほどの地域の患者を診ていらっしゃいます。

 

この例からも分かるように、M&Aという手法を選んでいれば、譲渡を希望していた医師には1000万円という譲渡金が入り、計画的かつスムーズにクリニックを承継することができたはずです。

 

しかし、運悪く顧問税理士にM&Aの経験が乏しかったことで、自分の築き上げてきたクリニックをただで譲ることになってしまったのです。

 

この例ばかりでなく、クリニックのM&Aには、患者の情報の引き継ぎ、届け出のタイミングなど医療制度に対する知識が必須です。だからこそ豊富な経験と実績、各専門分野でのネットワーク、高度な情報収集力などが求められます。

 

加えて相手の立場になって考える想像力や、粘り強く交渉していく対話力、クライアントの利益に徹する誠実さなどもなくてはなりません。そして、信頼の置けるアドバイザーを選ぶことがM&Aの成功に欠かせない必須条件となります。

本連載は、2015年9月25日刊行の書籍『開業医のためのクリニックM&A 』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

開業医のためのクリニックM&A

開業医のためのクリニックM&A

岡本 雄三

幻冬舎メディアコンサルティング

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