本記事では、交通事故裁判における裁判所の問題点を取り上げます。

果たして「被害者側」に落ち度があるのか?

交通事故裁判に関して、いろいろと事例を挙げて疑問符ばかりが残る裁判所の判断を紹介してきたが、ここまでくるとさすがに「いいがかり」としかいいようのない和解案がある。ちょっと紹介してみたい。

 

〈事例〉

車の助手席に乗っていたHさん(30歳・女性)が、足下に携帯電話を落としてしまった。そこでHさんは、信号待ちの停車時間にシートベルトを外し、かがみ込んで携帯電話を拾おうとした。そのとき、前方に停車していた加害者の車が突然バックし、Hさんの乗る車に衝突したのである。

 

Hさんはこの事故によって外傷性頸部症候群などを負い約7カ月に及んで通院、頸部に14級9号の後遺障害を残すこととなった。この事故は当然後方の確認を怠った加害者に100%の過失があると考えられる。被害者側にとっては「もらい事故」以外の何物でもない。

 

ところが保険会社は「被害者は事故の瞬間シートベルトをしていなかった」という点でHさんに2割の過失があるという主張をしてきた。保険会社の論法は、被害者本人にも損害を軽減できる方法があったにもかかわらず、それを怠ったがために損害が拡大したというのである。法律的にはこれを「損害軽減義務」というのだが、保険会社はこのケースもそれに当てはまると主張したのである。

 

確かにその瞬間はシートベルトをしていなかったのは事実だ。ただ、落とした携帯電話を拾おうとして、信号待ちを利用してシートベルトを外した行為が果たして義務を怠ったことにあたるといいきれるのだろうか?

 

ちなみに道路交通法上、「信号待ちの停車時間中」にシートベルトを着用しなければならない義務はない。それでも損害を軽減する義務があるというのなら、被害者は常にどんな状況でも追突してくる車を想定して、何らかの回避行動を取らなければならないということになる。この論法を広げれば交通事故の被害者となったら、ほぼどんな場合にでも落ち度を指摘することも可能なのだ。まさにいいがかりのような保険会社の主張ではないだろうか。

 

結局この件に関して、裁判所は「事故発生時に被害者がシートベルトをしていなかったことが、症状発生に一定程度寄与していたと解さざるを得ない」として、Hさんに1割の過失があるという和解提案を行ったのである。保険会社の主張する2割の過失はさすがに退けたものの、たとえ1割といえどもHさんに過失があるとは考えられない。保険会社の減額戦略に裁判所が乗ってしまう一例である。

 

ここで「損害軽減義務」という言葉が出てきたので、これにまつわる話をしておきたい。これは物損に関しての事例である。

 

〈事例〉

Iさん(60歳・女性)が駐車場に購入したばかりの新車を駐車していた。すると、一般車専用であるはずの駐車場にバスが進入してきたのである。無理に入ってきたバスは、Iさんの車にぶつかり、新車はあえなく破損してしまった。幸い、その車にIさんは乗っていなかったので、あくまで対物オンリーの事故である。

 

新車を不当に進入してきたバスに壊されてしまったのだから、Iさんの怒りは尋常ではない。Iさんはバス会社に対して車の買い換えを要求した。ところが、Iさん側には保険会社から数回電話があっただけで、その後は音沙汰なし。バス会社側が謝りに来ることもなかったのである。Iさんは車を修理に出している間、自分で代車を手配していたため、損害賠償にはその代車代も含まれていた。

 

物損に関しての話は以前に触れているが(関連記事『満足な修理は不可能!? 交通事故による「物損」泣き寝入りの実態』参照)、損害保険会社のあまりのやり方はすでにそこで触れたとおりである。そしてこのケースもご多分にもれず、保険会社と被害者の間で話がまとまらず、事故車両の修理は宙に浮いたまま、代車に乗る期間が長引いていたのである。

 

結局この代車費用をめぐって、保険会社との話がつかずに裁判に至ったのだが、簡易裁判所の一審では、代車期間も認めて40万円の損害賠償と判決が下された。これを不服に思った加害者側が控訴したので、次の戦いの場は地方裁判所へと移ったのである。

 

しかし保険会社の一方的なやり方に憤り、せめて裁判で公平に判断してもらおうという被害者の気持ちは、ここでも無残に踏みにじられる結果となった。というのも地裁の裁判長がいきなりいったことは「被害者も損害の拡大を防止する義務がある」ということだった。「損害の拡大」とはこの場合代車を使い続けて、なかなか車を修理しないということである。そもそも修理すれば直るのだから長い間代車を使い続けて無駄に費用を上積みさせていることに理由が見当たらない、さっさと修理してから保険会社と交渉し、修理費用を請求すればいいではないか、というのである。

 

結局この裁判官は「保険会社の説明不足を理由に、長期間代車を使い続けるのは不当。ある程度の事故の場合は自分で修理すべきである」という主旨の判決を書いた。しかし、この判決は現実をしっかり見れば無茶苦茶なものだとすぐにわかるだろう。なぜ被害者が自分で先に修理することをためらうか。それはたとえ代金を立て替えて車を修理したとしても、保険会社からその負担分を全額もらえるとは限らないからだ。だからこそ協定を結んでから修理をしようとするのである。

 

ところが、保険会社のやることといえば、代車を回収してしまえば後は知らぬふり、自分たちの都合のよい提示を相手が呑むまでほとんど何の説明もせぬまま放置しておくのである。

 

こんな状況でどうして被害者が自腹で修理に踏み切れるだろうか? にもかかわらず裁判所はこのような保険会社のやり方を非難するどころか、なかなか修理しようとせず問題を長引かせているIさんの方がおかしいというのである。保険会社の一連のやり口にはあきれるばかりだが、その状況を踏まえた、しかるべき判断を一向にしてくれない裁判所にも、ほとほとあきれてしまうばかりである。

被害者側の事情を考慮しない裁判所

事故に遭った被害者のJさん(32歳・男性)は、右肩の損傷によって右腕が正常域の4分の3までしか上がらなくなってしまった。少し専門的になるが肩の可動域には腱板という部分が重要で、ここを損傷するとまっとうな運動ができなくなる。Jさんの場合もそれが疑われたが、1回目の等級認定では、画像上、右肩腱板損傷は判然としないという理由により、14級の神経症状と判断された。そこでJさんは我々のもとを訪ねてきたのであるが、私たちは右肩腱板損傷を詳細に根拠づける意見書を医師に書いてもらい、異議申立てを行ったのである。

 

その結果、半年後にようやく可動域制限ということで12級の等級認定がなされたため、12級に基づいて賠償額の計算をし、改めて裁判で訴えたのである。ここで登場した保険会社側の弁護士が、なかなかいやらしいタイプであった。

 

まずは腱板損傷などないはずだというのである。今回の事故は被害者が自動車に乗っている際に後ろから追突されたものであるが、状況から判断するに、事故は腱板を損傷するほどのものではないというのである。しかもその後も何かといってはケチをつけてくる。被害者が以前、空手をやっていたのを理由に、もともと右肩腱板に損傷があったのではないか、というのである。空手をやっている時に何らかの衝撃で肩を損傷し、そのせいで腱板がやられたのではないかというのだ。

 

さらに外傷性ということであれば痛みはすぐに出るはずであるが、Jさんが肩の痛みについて訴え始めたのは事故から半月後のことだった。そこも相手の弁護士が突いてくるポイントになった。とはいえ事故に遭った場合、後遺症となる障害は、必ずしも事故後すぐに痛みを感じた箇所ではないことも多い。通常は、裁判所がこういった双方の訴えをコントロールし、解決策を見出していくものである。ところが、裁判所はそんな保険会社の主張を受けて、こちらに改めて医師の意見書を出せという指示を出したのである。

 

この時に診断していた医師がかなり協力的な人物だったので、すぐに意見書をまとめてもらい提出することになったが、通常は、裁判の間に何度も協力してくれるような医師は少ない。

 

さて、こちら側が提出した医師の意見書に対して、今度は保険会社側が顧問医と相談し、自分たちの弁護士の言い分を裏付ける内容の意見書を出してきた。保険会社は顧問医がいるのでいくらでも意見書や資料の作成をするだろうが、こちら側はあくまで主治医に協力を仰ぐしかない。裁判所が保険会社の言いなりになって意見書の応酬合戦になれば、こちらが不利になることは間違いない。

 

ところが、裁判所は相手の言い分に対して新たに医師の意見書を提出するか尋ねてきた。さらに必要とあれば医師の尋問を行ってもいいといいだす始末である。一体、交通事故被害者の損害賠償の裁判で、忙しい中法廷に立ってくれる医師がどれだけいるだろうか? こういうことを繰り返していたら、交通事故補償の問題に協力してくれる医師などいなくなってしまう。

 

この件については、五月雨式の主張を互いに繰り返したまま、訴訟提起から1年半以上経過して、ようやく第一審の判決が出た。Jさんの場合は自賠責の等級認定でも手間取ったうえに、裁判でもかように空しい意見書の応酬合戦に巻き込まれてしまった。まことに気の毒なケースではあるが、医師も判断に加わる自賠責の段階で、すでに12級の認定を受けているのだから、それを尊重して、さっさと判決を出してくれればよかったのだ。

 

ちなみにその判決の内容は何とか12級を認定してくれた。しかし、労働能力喪失率については、本来の14%ではなく、10%に軽減したものであった。何と被害者に優しい裁判所であろうか?

裁判官の官僚化が司法を蝕む

それにしても裁判所、裁判官の質の低下が著しいと私は感じる。いずれも官僚的で杓子定規、自ら問題意識を持って現状を変えていこうという裁判官は少ないように思う。できるだけ前例にしたがって新しいことはしない。下手に動いて失敗したら自分の損になってしまう。そんな、事なかれ主義、役人的思考が蔓延しているのではないか。

 

交通事故に関しては自賠責の問題、保険会社の問題、等級認定の問題など、真剣に取り組み、改善しなければならない問題は山のようにある。そして本来裁判所がそれらの矛盾や問題点に前向きに取り組み、様々な問題の根本に切り込んでいたならば、現在のような交通事故被害者の非権利状態は多少なりとも改善できていたはずなのだ。司法の最高権力である裁判所が、それこそ本気で取り組めば、保険業界や保険制度を変えることも可能なのである。しかし残念ながら、そのような動きはほとんど期待できない状況である。

 

一番の問題は、現在の裁判所のシステムに無理があるということだ。一人の裁判官が百件以上の訴訟を抱えていることなどざらなのである。その中で効率化を図るにはどうしても一つひとつの事件に十分注力できない状況になってしまう。

 

とくに交通事故などは、彼らからしてみたら定型的な事件にしか見えないので、できる限り書面中心、和解中心となってしまうのである。このことがさらに裁判官の質の低下を招いているのではないかと考えている。個別の事例にしっかりと向き合うことでより事件を的確に捉える目を鍛えられるはずだが、書面だけで杓子定規に事件を判断しているだけでは、そのような目、事実を客観的かつ的確に捉える事実認定力はいつまでも鍛えられないことになる。

 

結局裁判所に求められるのは個別事例にいかに対応するかである。様々な環境や状況を勘案し、ケースバイケースで判断する。本来裁判にはこのような柔軟性が必要ではないかと考える。しかし、交通事故裁判に関してはこれまで見たようにあまりにも自賠責の等級や保険会社の意向に偏った、頑なで硬直化した裁判が多いのである。

 

目先の補償額の調整や、保険会社、その他の機関などとの利害調整ばかりに追われるのではなく、裁判所および裁判官自身が本来の役割と可能性を認識し、積極的な姿勢で交通事故補償問題に取り組むべき時がきているのではないだろうか。

 

 

谷 清司

弁護士法人サリュ 前代表/弁護士

 

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    本連載は、2015年12月22日刊行の書籍『ブラック・トライアングル[改訂版] 温存された大手損保、闇の構造』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

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