異様な静けさが漂うセンター試験会場
1月15日、土曜日――。
晴香(はるか)は、とある大学の教室で自分の席を探していた。
高校の教室よりもはるかに広いその空間には、すでに数十人の人がいたが、異様な静けさが漂ただよっていた。
晴香は足音を立てないように気を遣いながら、机の間の通路を歩いていた。
*
「ハルちゃん、おはよう!」
突然、後ろから声をかけられて、晴香は肩をビクっとさせた。
「ああ、ごめん、そんなに驚かせちゃった? 顔見せに来たよん」
振り返ると、同じ塾に通っている千穂(ちほ)がニヤニヤしながら立っていた。
「なんだぁ、チホか、おはよう。そっか、同じ会場だったね」
「なんかハルちゃん表情がかたいよ? あれ~まさか緊張してるの?」
「え? いや、緊張ってわけじゃないんだけど、なんか、みんなシーンとしていて怖くない?」
「そうかなぁ。雰囲気に呑まれそうになってるんじゃないの? リラックスだよ!」
「うん、ありがとう。チホもね! がんばろ!」
「うん! じゃあね!」
千穂は、パタパタと足音を立てながら自分の席に戻って行った。晴香は、大きな千穂の足音に周りの人がイライラするのではないかと心配になったが、半面、
(周りは関係ない。いつも通りやろう)
と、その足音に励まされたような気もした。
自分の席に着いた晴香は、いつものように筆記用具、時計2つを机の上に並べて前方の黒板を見た。
〝大学入試センター試験 試験時間割 地理歴史公民 10時40分~11時40分〟
そう、今日は晴香にとって大学受験の初戦、センター試験の日だ。
私、集中できてないな。なんでだろう…
(試験まであと40分あるなぁ……)
晴香は昔から、席に着いてから試験開始までの中途半端な待ち時間が嫌いだった。試験直前まで参考書を見ていても結果は変わらない気がするし、かと言って、変な緊張感の中で何もせずにいるのも、気持ちが悪くて耐えられなかったからだ。高校受験のときは、いろいろ考えるのも面倒くさくなり、机に突っ伏して寝ていたぐらいだった。
でも今回は違った。塾で習った通り、この隙間時間でやることを、すべて事前に決めていたからだ。
問題配付が始まるまで、晴香は世界史の教科書をひたすら読むことに決めていた。以前は直前の詰め込みなんて、どうせ意味がないと思っていたが、模試の会場で試験直前に見たものが、ちょうど出題されるというラッキーを数回経験してからは、晴香は直前まで諦めずに、教科書を反復することを習慣にしていた。
教科書を読み始めて30分ぐらい経ったところで、問題用紙の配付が始まった。
(よし、世界史完了! ここまでやれば、きっと大丈夫だ)
晴香は、自分が安心できる言葉を自分にかけながら、世界史の教科書をカバンにしまった。
試験官が話す注意事項を聞きながら、晴香は、次に自分がすべきことを考えていた。説明が終わると、試験開始までは何もできない沈黙の時間が続く。晴香はこの時間を、「マインドフルネス」に使うと決めていた。
マインドフルネスというのは、塾の「合格マインド」の授業で教わった、集中力を高める方法だ。いわゆる瞑想のようなもので、最初は人前でやることに恥ずかしさがあった。しかし、その効果を実感してからは、問題演習をやるときも、自習中にイマイチ集中できないときも、晴香は必ず、このマインドフルネスで自分を落ち着けることを習慣にしていた。
背筋を伸ばして、目を閉じて、自分の呼吸に集中して……。
(あれ……?)
いつもは、周りの音がスーッと消えて、頭の中が空っぽになるのに、なぜか今日は、周りの咳払いや、空調の鈍いうなり声が、晴香の耳にまとわりついて消えてくれなかった。
(私、集中できてないな。なんでだろう……)
いつもと違う自分に、晴香は不安になった。
(私どうしたんだろう!? もしかして、本当にチホが言うように緊張してるのかな……)
不安は不安を呼ぶ。晴香は、今日初めての想定外の出来事にパニックになった。手には汗がにじむ感覚があった。
(あ~ヤバい、私緊張してるんだな。いったん落ち着かなきゃ)
晴香はまず、緊張している自分をそのまま受け入れた。そのうえで、「合格マインド」で習った、緊張したときの対処法を思い出そうとした。
「人は感謝の気持ちを思い浮かべると心拍数が下がるんだ。もし緊張したら、誰でもいいから感謝している人を思い浮かべてごらん」
晴香は村野の言葉を思い出した。そして自分を落ち着かせるために、感謝の気持ちを思い浮かべることにした。
(毎日、私より早く起きてお弁当をつくってくれたお母さん、一緒に戦ってくれているおじいちゃん、いつも相談に乗ってくれたチホ、最後まで自分を見放さずに励ましてくれた村野先生……。10ヶ月前の自分は、恥ずかしいぐらい何も分かっていなかったのに、ここまで成績が上がったのは、間違いなく、あの塾と出会えたからだな……)
感謝を少し通り越し、晴香は村野と出会った頃のことを思い出していた。
(次回に続く)