「解く喜び」を味わえば、考えることが苦にならない
筋力トレーニングを続けていれば、必ず筋力がアップするように、考えるトレーニングを続けていれば、必ず考える力が鍛えられます。
ただし、間違ったトレーニングのやり方では、筋肉を痛めるおそれがあります。ですから、頭を鍛える時にも、コーチが必要なのです。コーチの役割は、子どもに代わって体を鍛えることではありませんね。コーチにできることは、最低限のやり方を伝えたら、後は子どもを励ますことです。
そうして考え続けているうちに、ほとんどすべての子どもに「わかる」瞬間がやってきます。考え続けていれば、難問を解けることが、身を持って理解できるのです。その瞬間の喜びは、お風呂から裸で飛び出したアルキメデスにも劣りません。
そして、一度、この解ける喜びを味わうと、考え続けることは苦しくも何ともなくなります。なぜなら、考えることをやめなければ、必ず解けることがわかっているからです。
いくら難問とはいえ、それが入試問題であるなら、あるいは仮に算数オリンピックの問題だとしても、誰かが作った問題である限り、必ず解けるようになっています。だから、問題は必ず解ける。あるいは解き方は必ずある。そう信じて取り組めば、考え続けられるはずです。
考え続けて、正しく試行錯誤を繰り返すことができれば、考える力は自然についていきます。そうして養われた考える力は一生の宝ものとなります。
なぜなら、考える力がつくと、おかしな表現かもしれませんが、何でも考えるようになるからです。例えば学校の授業を聞いていても、聞いた内容を考えて理解するようになります。先に例にあげたように、歴史なども「なぜ、そうなったのか」と考えながら理解します。
考える目的の一つは因果関係を見つけることであり、歴史上の出来事には基本的に因果関係があります。ですから、因果関係を理解できれば、覚えなければならないことは、実はそんなに多くありません。因果関係に注目するようになれば、どの教科も理解できるようになります。
学校の宿題をこなすだけで難関大学進学も可能に!?
国語を使って考える力を伸ばす方法を説明したように、実は、どの教科を使っても考える力をつけることは可能です。私の塾で算数をメインにしている理由は、算数が最も短期間に成果が出やすいからです。
そして考える力がつけば、小学校の算数はもちろん、中学校から高校での数学がとても楽になります。
授業をきちんと聞いて理解していれば、それ以上は何もしなくて大丈夫です。数学だけでなく物理や化学などのいわゆる理系科目はすべてそうです。文系科目は、どうしても覚えなければならない項目がありますが、それも理解しながら覚えるので、記憶が頭に効率よく定着します。
授業を聞いて理解できるようになれば、それ以外に勉強する時間はそれほど必要ありません。自宅では学校の宿題をしているだけでも、国公立大学、それもトップレベルの大学に進むことができるのです。
そして、因果関係に注目することは、すなわち「なぜ?」「どうして?」を常に自分に問いかけることです。この力こそ、社会に出た時に最も必要とされる力、自ら問題を見つけて解決する能力です。
しかも、問題を解けた時の喜びを知っているから、考えることを楽しむことができる。まさに考えると「楽」になり、考えると「楽」しい人生が待っているのです。
本来は「緊張感」を持続できる場が望ましいが・・・
考える力をつける思考教育は、理想をいえば、緊張感を持続できる場で取り組むのが望ましいでしょう。授業時間中は子どもたちに対してひと言も発しないような塾がよいのです。
こうした場では、空間の力が働きます。自分一人ががんばっているのではなく、まわりにいる他の子どもたちも、一生懸命に考え続けている。その空気感が、子どもに心地よい緊張感を与えます。自分もがんばって考えようという意欲をかき立てます。
だからといって、考える訓練が家庭でできないわけではありません。ユダヤの人たちにとって教育とは、まず家庭で行うべきものでした。安息日に家庭で行う教育が、ユダヤ民族に飛び抜けて多いノーベル賞受賞者につながったのです。
難関校の入試問題を、親子で一緒に考えてみる
頭を鍛える訓練はもちろん家庭でもできます。そのために必要なことは、親が意識を変えることです。
勉強とは何をすることなのか。頭を使うことです。計算練習をすることでも、簡単に解ける問題を機械的に繰り返すことでもありません。そんなことをいくら繰り返しても考える力はまったく養えません。
子どもがわからないと言った時に、教えてあげることも違います。灘中学校や開成中学校の入試問題などの難問を、親子で一緒に考えてあげればよいのです。できれば30分、最低でも20分間、子どもの緊張が切れないように、集中して考え続けることができるように、横についてあげる。
仮に親が解けたとしても、それを子どもに説明しないでください。むしろ、親は解けない方がいい。問題文を一文ずつ読みながら、子どもに尋ねてあげましょう。
例えば「お父さんは、この問題の意味がよくわからないんだけど、どういうことかな?」とか「お母さんにもわかるように教えて?」といった案配です。あるいは「お父さんは、こう思ったけれど、どうかな?」と自分が思いついたことを口にするだけでも構いません。
要は、子どもの緊張感を維持し、少しでも長く考え続けるように導くことです。結果を焦らないことも大切です。おそらく家庭で取り組む場合は、塾で訓練するよりも、成果が出るまでにかかる時間は長くなるでしょう。けれども、考える訓練を続けていれば、間違いなく考える力は養われていきます。
親の役割は「考える大切さ」を伝えて励ますこと
子どもが本当に考えているかどうかは、子どもの目を見ていればわかるものです。真剣に考えている時は、目に力があり輝いています。これがどう考えても先に進めなかったり、考える手立てがなくなったりしてしまった時に目の力は失われてしまいます。
親が見てあげるポイントは、ここです。子どもたちの目が死んできた時に、考える大切さを伝えて励ますのです。苦しいけれど、がんばろうとやる気を起こさせるのです。塾では子どもたちを励ました上で、講師がヒントを与えます。
といっても、決定的なヒントではなく、「こんなふうに考えてみたらどうなるかな?」とか「問題文のこの部分は、どういう意味だろう?」と考えを先に進めさせるためのヒントです。
さすがに、家庭で親が適切なヒントを出すことは難しいと思います。けれども考えるように励ますことはできるはずです。よくがんばっているねとほめてあげて、少し休憩してもいいでしょう。それからまた考える。ヒントは出さなくて構いません。
その代わり子どもに説明を求めてください。問題文を一文ずつたどりながら「これはどういう意味?」「この数字は、何のこと?」と、ごく初歩的なことで構いません。
問いかけが、頭を動かす力になります。そして、頭を動かし続けてさえいれば、必ず考える力はついていきます。早ければ三カ月後、平均で半年後、もしかすると1年ぐらいが必要なこともあるでしょう。
どれだけ時間がかかったとしても、子どもの考える力は、間違いなく養われている。親の信念が子どもを伸ばすのです。
江藤 宏
関西教育企画株式会社 灘学習院 学院長