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歴史に見る、サウジアラビアが家産制福祉国家となれた理由

今回は、「サウジアラビア」が家産制福祉国家に成長できた理由を、歴史から探ります。※本連載は、エネルギーアナリストとして活躍する岩瀬昇氏の著書、『超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編』(エネルギーフォーラム)の中から一部を抜粋し、中東の現情勢とエネルギー戦略を探ります。

サウジアラビア=「サウド家のアラビア」

今回は、サウジの歴史からみてみよう。

 

国名である「サウジアラビア」とは「サウド家のアラビア」という意味である。名は体を表すというが、この国名こそサウジの国体を物語っている。

 

100年前のサウジは、現在のサウジアラビア王国建国の父、イブン・サウドが各地の部族と戦いながら、政略結婚を繰り返し、次々と傘下に収めているころだった。記録が不備で、イブン・サウドが正式に何人の妻を娶ったのかは定かではないが、王位継承権のある息子の数は36人とされている。第2代サウド国王から現在の第7代サルマーン国王まで、国王は全員、「第二世代」と呼ばれる初代イブン・サウド国王の息子たちで占められている。

 

1992年に制定された「サウジアラビアの統治基本法(以下、「基本法」)」第5条には「王国の統治は、建国の父アブドルアジーズ・ビン・アブドッラハマーン・アルファイサル・アールサウドの子および孫に委ねられるものとする。その中の最もふさわしいものがコーランとスンナの導きにより王位に就くものとする」(日本貿易振興機構リヤド事務所)と規定されている。

 

注意しなければならないのは、「基本法」第1条に「(中略)憲法はコーランおよびスンナとする」と記載されているように、この「基本法」よりもコーランとスンナが優先することだ。コーランとスンナの解釈については聖職者に拠らねばならぬが、いずれにせよ、建国の父イブン・サウドの血を引くもの以外が国王となることはあり得ないことになっている。

 

なお、コーランとはイスラム教の聖典で、預言者ムハンマドに対し神が下された啓示であり、スンナとは預言者ムハンマドの言行のことである。

元々は財政的に困窮していたが、ある油田を掘り当て…

サウジの建国は1932年。イブン・サウドは、国家を統一するという政治面では成功したものの、財政的には困窮していた。1929年に始まった世界大恐慌の影響で、最大の収入源である聖地メッカ、メディナへの巡礼者数が激減していたからだ。

 

国家統治の正統性は、今も同じだが、前述したように第一次サウド王朝時の1744年の「ディルイーヤの盟約」に基づいている。当時は有力者の娘たちとの婚姻により各部族と血縁関係を結び、部族の長に補助金を出すことにより支配統治を維持していた。統治を維持するためには、いつの世も財源が必要だ。

 

そのころ中東では石油の発見が続いていた。1908年にペルシャ(現在のイラン)でスレイマン油田が発見され、1927年にはメソポタミア(現在のイラク)でババ・ガーガー大油田が発見された。バーレーンでも1932年にジャバル・ドゥハーンで油田が掘り当てられた。

 

バーレーンでの成功は、地質的につながっていると考えられる対岸、サウジ東部アルハサ地方での石油への期待を大いにかき立てた。

 

ダニエル・ヤーギンの『石油の世紀』によれば、イブン・サウドは「外国資本と、その技術者は、伝統的な価値観や人間関係を混乱させ、多分に破壊させもするとしか思っていなかった」ため、石油利権を外国資本に供与することには消極的だった。

 

だが、背に腹は変えられず、ついに1933年、初年度利権料5000英ポンドおよび借款3万英ポンド、合計3万5000ポンド(17万5000米ドル)を「金貨」で支払うことを条件に、「ソーカル(Standard Oil of California、現在の「シェブロン」)」に石油利権を供与したのだった。

 

バーレーンの利権契約を獲得し、石油を発見したのも「ソーカル」だった。

 

当時は前述した「赤線協定」があり、アメリカ大手の「エクソン」や「モービル」、あるいはイギリスの「BP」やイギリス・オランダの「シェル」など「イラク石油」の株主は、バーレーンやサウジでは勝手には動けなかった。

 

また彼らは、イランおよびイラクでの大油田発見により世界的に供給過剰だと判断しており、新規案件には消極的だった。「ソーカル」など他社が取り組むことにも反対しており、成功しなかったが、陰で本件を潰す工作活動も行った。

 

これが「トルコ石油」の株主ではなかった「ソーカル」が進出した背景にある事情だ。

 

この利権契約は1993年までの60年間有効で、サウジ全土の半分近い約90万平方キロ(日本国土の約2.4倍)を独占的に掘削、開発、生産できる権利を約束したものだった。

 

また利権料率より一時金の支払いが大きいことからもわかるように、イブン・サウドは、石油がもたらすかもしれない将来の利益より、目の前の現金を求めて利権を供与したのだ。

 

一方、石油を求めて探鉱を開始した「ソーカル」の作業は難航を極めた。掘削開始から3年、あきらめかけていた1938年になってようやくダンマン油田を掘り当てたのだった。

 

本格的な開発は「赤線協定」が廃止された第二次世界大戦後から始まったが、1973年のオイルショックによる価格高騰もあり、石油開発の成功が国家の財政を潤し、サウジの「家産制福祉国家」を今日まで成り立たせてきたのである。

 

 

岩瀬 昇

エネルギーアナリスト

 

エネルギーアナリスト

1948年、埼玉県生まれ。埼玉県立浦和高等学校、東京大学法学部卒業。1971年、三井物産に入社後、2002年より三井石油開発に出向、2010年より常務執行役員、2012年より顧問、2014年6月に退任。三井物産に入社以来、香港、台湾、2度のロンドン、ニューヨーク、テヘラン、バンコクでの延べ21年間にわたる海外勤務を含め、一貫してエネルギー関連業務に従事。現在は、新興国・エネルギー関連の勉強会「金曜懇話会」の代表世話人として後進の育成、講演・執筆活動を続ける。

著書に『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?』、『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』、『原油暴落の謎を解く』(以上、文春新書)。会員制国際情報サイト『新潮フォーサイト』の「エネルギーの部屋」管理人として随時情報発信中。

著者紹介

連載「百年の呪縛」脱却を目指す中東…現在の情勢とエネルギー戦略を探る

 

超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編

超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編

岩瀬 昇

エネルギーフォーラム

三井物産、三井石油開発に勤務した筆者が実体験を交えながらやさしく解説。日本の総合安全保障や外交政策にかかわる世界情勢と国際政治はこの一冊ですべてわかる!

 

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