今回は、石油依存経済からの脱却を目指すサウジアラビアの今後を考察します。※本連載は、エネルギーアナリストとして活躍する岩瀬昇氏の著書、『超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編』(エネルギーフォーラム)の中から一部を抜粋し、中東の現情勢とエネルギー戦略を探ります。

投資立国への変革を打ち出した「ビジョン2030」

繰り返しになるが、父君サルマーン国王の差配により、国防およびすべての経済政策の責任者となったMBS副皇太子(当時)は、2016年4月、2030年までに石油に依存した経済から脱却した経済体制を確立することを目標とする「ビジョン2030」を打ち出した。

 

非石油経済の拡大と豊富な資金を使って投資立国に変革するという、地域大国にふさわしい壮大な、極めて野心的なビジョンだ。

 

MBSは、その第一歩として国営石油「サウジアラムコ(以下、「アラムコ」)」の5%を新規株式公開(IPO)する方針を打ち出した。「アラムコ」の企業価値を2兆ドルと評価し、5%で1000億ドルの資金調達を行い、「Public Investment Fund=公共投資基金」を拡充することで非石油部門への投資資金を確保する狙いだ。脱石油経済実現の鍵として、アブダビやドバイのような投資立国の絵姿を思い描いているようだ。

 

だが、上場予定は延期を繰り返しており、2019年にずれ込むのでは、との観測が有力になっている。

 

2兆ドルという企業価値については、専門家の間には過大評価だとの指摘が根強いが、いずれにせよ規模の大きさから、サウジ国内市場だけでは対応できず、海外での上場が必須だ。なかでも、ニューヨークやロンドンが有力視されている。

 

だが、国家そのものと密接に絡み合っている「アラムコ」の実態について、海外証券取引所が要求するような情報開示をどこまでできるのだろうか、という疑問が生じている。一説には、準備作業はほぼ完了しているものの、政治決断ができない状態にあるともいわれる。

 

また、石油価格が回復して「アラムコ」の企業価値が「2兆ドル」の評価となるタイミングをMBSは待っているのだ、とも伝えられている。

 

情報開示に加え、アメリカにはさらに2016年9月に成立した「テロ支援者制裁法、JASTA:Justice Against Sponsors of Terrorist Act」の問題がある。この法律に基づき2001年の同時多発テロの被害者およびその家族はサウジ政府を提訴できることになっている。

 

「アラムコ」が上場されれば、「アラムコ」に対する提訴がなされるのは確実で、サウジとしては対応に苦慮する問題を抱えることになる。

若者はMBSの改造計画を支持しているというが…

このように「アラムコ」IPOは、今後どのような展開をみせるのか予断を許さない。いずれにせよ、必要な資金が調達できて投資立国が可能となり、配当収入で国家財政が賄えるようになるとしても、時間がかかるのは明白だ。

 

それまでの期間、どこまで石油以外からの収入増を図り、支出減を実現するドラスチックな方策をとれるだろうか。

 

大幅な収入増加策は、国民に新たな税を課すことしかない。2018年1月から5%の付加価値税を導入したが、これだけで十分なはずがない。2018年の国家予算は、520億ドルの赤字を見込んでいる。個人所得税や相続税などの構想はまだない。

 

また支出削減は、補助金削減が中心だ。軍事費が減る気配はない。

 

すでにガソリンや電気・水などへの補助金削減を行い、公務員の福利厚生の引き下げを図ったものの国民の不満が景気の足を引っ張ったため、別の補助金を供与したり、福利厚生引き下げの撤廃などの対応を余儀なくされている。

 

いずれにせよ「揺りかごから墓場まで」の福祉に慣れ親しんだ一般国民には、「痛み」の伴う常識の大転換が要求される。

 

この「痛み」は、政治的権利との引換でなければ、一般国民は許容できないだろう。サウジ国民も、アメリカ独立戦争(1775~1783年)時のスローガンのひとつである「代表なくして課税なし」を求めるのではなかろうか。

 

MBSの大胆な改造計画は、人口の大半を占める若者たちの強い支持を得ていると報じられている。だが、政治的権利のない若者たちの支持なるものは、いったん「痛み」を感じたとたんに雲散霧消してしまうのではないだろうか。サウジ国民の支持なるものを、民主主義国家のものと同列に論ずることはできないだろう。

 

目先の動きもさることながら、筆者は、第一次オイルショックが起こった1973年当時、数百万人だったサウジの人口が3000万人強(いわゆる「3K」を含む経済活動の実態を支えている非サウジの人口である約1000万人を含む)に増えていることと、サウド家の王子が少なくとも数千人以上いることから、如何に国庫収入を増やそうとも、現在と同じような福利厚生を国民に、王子たちに、施し続けることはできないと判断している。

 

例えば、人口増と膨大な補助金を主因として、急増している石油消費が一例だ。

 

第一次オイルショックが起こった1973年、サウジの消費量は46万6000BDだったが、2016年には390万6000BDへと8.4倍に増加している。

 

同期間、世界全体の消費量は5556万3000BDから9655万8000BDと1.7倍に増えているが、日本は逆に526万5000BDから403万7000BDへと減少している(「BP統計集2017」)。補助金の支えもあり、如何にサウジの石油消費量が急増しているかがわかるだろう。

 

いつの日かサウジは、輸出余力を失い、石油の純輸入国になるとの予測すら出現する事態なのだ(「Burning oil to keep cool: The hidden energy crisis in Saudi Arabia」、Glada Lahn & Paul Stevenes, The Royal Institute for International Affairs, December 2011)。

 

石油輸出収入がゼロになったら、サウジが国家として成り立つはずがない。ゼロにならなくても、歳出を賄うだけの歳入を期待できなくなるのは必至なので、必ずや「痛み」を伴う大改革が必要だ。

待ち受けるのは「ソ連崩壊後のロシア」に似た混沌か

最大の「痛み」は、これまでの常識をぶち壊すことから生まれるものだ。

 

自らの人生は、国王の御慈悲の下にあるのではない、自らの責任と権利に基づいて、自らの才覚で切り開いていかなければならないのだと、国民の一人ひとりが身に沁みて感ずるようになる必要がある。労働人口の7割が、1日に1時間しか働かないとサウジの担当大臣が語っている(「サウジの公務員、勤務は1日1時間? 閣僚がテレビで発言」2016年10月21日付CNN)。

 

公務員から、労働時間も長く、給与水準も低い民間企業へ労働人口が移動するには、根本的な意識改革こそ、最も大事なことではなかろうか。

 

これは、社会システム全般の変革と密接に結びついている。例えば、イスラム教に3分の1、アラビア語に3分の1、残りの3分の1で他のすべての教科を教えるという、初等教育カリキュラムの改善がまずは要求されるだろう。

 

また、女性に自動車運転免許を許与するという点が喧伝されているが、根本に横たわるガーディアンシップ(女性が外部で行動するには、父親、夫、あるいは兄弟など男性保護者の許可がいる、という仕組み)の改善が必須だが、イスラムの教えとの整合性をどのように設えるのか、難しい問題がある。

 

大胆に予測するならば、おそらく、この意識改革の過程でサウジ国民には、ソ連崩壊後のロシアが歩んだ道に似た混沌と驚愕とが待ち受けていることだろう。

 

ムハンマド・ビン・サルマーン「国王」の治世は果たして何年続くことになるのだろうか?

超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編

超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編

岩瀬 昇

エネルギーフォーラム

三井物産、三井石油開発に勤務した筆者が実体験を交えながらやさしく解説。日本の総合安全保障や外交政策にかかわる世界情勢と国際政治はこの一冊ですべてわかる!

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