世界と比較しても、日本の「個人寄付の金額」は少ない
7,756億円と推計される日本の個人寄付金額。これは名目GDP比率でいうと0.14%という水準になります。この規模を寄付の文化が進んでいるといわれる欧米(米国と英国)や、お隣の韓国と比較してみましょう。
『GIVING USA 2017』によれば米国の2016年の個人寄付総額は2,818.6億ドルで、日本円に換算すると約30兆6,664億円 (1ドル=108.8円換算)、なんと約40倍もの規模です。2014年と比べると9%増えており、名目GDP比率でいうと日本の10倍の1.44%という水準になります。
英国の2016年の個人寄付総額は97億ポンド(『Charities Aid Foundation 2017』)で、日本円に換算すると約1兆5,035億円(1ポンド=155円換算)になり日本の約1.9倍の規模、名目GDP比率でいうと日本の3.9倍の0.54%になります。
[図表1]日米英韓の個人寄付比較
隣国の韓国も個人寄付総額は7兆900億ウォン、日本円換算すると6,736億円(100韓国ウォン=9.9円換算)と金額ベースでは同水準ですが、名目GDP比で日本の約3.6倍の0.5%と高い水準になっています。
日本社会の成熟に伴い「社会貢献派」も増加
統計データより、日本における寄付の規模は米英韓国と比較してまだまだ小さいことがわかりました。
私はこれを「日本には寄付文化がない」とするのではなく、「まだまだのびしろがある」ものと捉えています。なぜなら日本の社会構造や日本人の意識はこれからますます変わり、今後寄付の必要性が増していくことが予想されるからです。
その第一の理由としては、現在の社会システムがもう成り立たなくなっていることです。これまでの日本の社会システムは、右肩上がりの経済成長が前提で、年々増加する税収を再配分することで社会の問題を解決してきました。しかしながら、世界最速で高齢化が進むこれからの日本社会では成長により税収が増えることは見込めず、逆に深刻な高齢化の進展により社会保障費は確実に増大していきます。
2018年度の国の予算(財務省、平成30年度予算政府案より)を見ても、97.7兆円という過去最大の予算規模のうち基礎的財政収支は▲10.4兆円と黒字化はまだまだ見えず、公債への依存度は34.5%と高水準のままで、国の借金(国及び地方の長期債務残高)は1,107兆円と名目GDPの約2倍の水準で今後も増加を続けます。
このままの社会制度が大きな改革が為されないまま進めば、最悪の場合、国の財政は破綻することになります。
ここで第二の理由。そんな子どもや孫の世代に数々の負債を抱えた未来を残してしまう恐れのある現代の日本社会の中で、実は「社会のために役立ちたい」と思う人は増えているのです。
2016年度(2017年1月)の内閣府による「社会意識に関する世論調査」によれば、「日頃、社会の一員として何か社会のために役立ちたいと思っていますか?」という問いに対し、65.4%の人が「思っている」と答え、「あまり考えていない」と答えた人の32.1%を大きく上回っています。
過去と比較しても、前回調査時よりもその差は拡大し、さらに遡れば、1980年代までは「思っている」と答える人は50%程度しかいなかったので、この傾向は社会の成熟に伴い、利他的な行動を好む「社会貢献派」が増えてきていると言えるでしょう。
[図表2]社会意識に関する世論調査「社会への貢献意識」
「社会課題解決」につながる寄付の実践
そして第三の理由。そんな増加する社会問題と社会貢献意識に呼応するかのように存在感を増してきているのが、「社会課題解決の担い手」として注目される民間非営利団体(NPO)やソーシャルビジネスです。
彼らは、行政の過度な公平性、前例主義、非効率性をイノベーティブな方法で克服し、従来のビジネスの手法では収益が見込めなかった領域でもビジネスモデルを成立させながら社会問題の解決に挑んでいます。
そしてそんなNPOが提供する「非受益者負担(=第三者による負担)」の仕組みを支えているもの重要な一つが寄付なのです。
こう考えると、寄付はこれからの社会課題解決策に欠かせない重要なリソースであると言えるでしょう。強制的に徴収される公的な財源である“税”が明らかに不足している現状で、任意かつ善意に支えられた公的財源となる“寄付”は、これからの日本でますますその重要性を増していきます。
長い間かけて確立されてきた現代の社会システムをすぐには変えられませんが、寄付はこれから長い時間をかけて変化していくその間をつなぐことができるのです。そしてまた寄付は、「社会の役に立ちたい」と思いながらも自分の時間を社会課題解決に使えない一般生活者にとっての「社会課題解決への参加の機会」となるのです。