「こんな端っこの部屋だなんて話が違うじゃないか!」
※今回は、乗船コーディネーターの著者による、自身のビジネスの場でのエピソードを紹介します。
「こんな端っこの部屋だなんて話が違うじゃないか!」
バルセロナ港でチェックイン後、客室に入るなり、電話が鳴った。私はすぐさま駆けつける。電話の主、Kさん(64歳)の客室は、客船の最後尾にあった。ノックをすると、ドアが開くなり怒鳴り声が響く。
「ベランダ付きを選んだのに、これじゃ後ろしか見えない! それにどこに行くにも遠いし!」
私はレセプションに向かった。だが、このとき、私には勝算があった。客室変更の勝算ではない。Kさんをその客室に留まらせる勝算だ。しかし、興奮が収まるまではどうしようもないだろうと思い、いったんは引いた。概してクレームとは、自分のイメージと現実との間にギャップが生じたときに起こる。動転していると、そのギャップが得なのか損なのかの判断ができない。
幸か不幸か空いている客室はなかった。
戻ってその旨を伝えると、やり場のない怒りにKさんは顔を紅潮させ、黙り込んでしまった。だが、先ほどよりは明らかに落ち着いてきている。そこで私は言った。
「この船の中でいちばんいい部屋、つまりスイート客室がどこにあるのかご存知ですか?」
首を振るKさん。
「じつはこの客室の両隣にあるんです。この客室はスイート客室の乗客が大人数だったときに使うコネクティングルーム(隣り合った2部屋が内側のドアでつながっている部屋)で、数少ない特別な客室なんです。客室の広さは他のベランダ付き客室と同じですが、景色はスイート並みなんですよ」
Kさんはポカンと口を開けて私を見つめている。
「もしどうしても変更を希望されるなら、同じツアーのベランダ付き客室の方々に、いまからかけあってみますが……」
「いや、そういうことなら、この部屋に留まってみるとするか……」
急に語気が弱まったKさんは、素直に私の意見に従った。
一見不便な部屋でも、視点を変えればスイート客室に
その夜のディナーの席のこと、Kさんは上機嫌で私に言った。
「君の言ったとおりだ。動き出してからの開放感は全然違う」
「それはよかったです。でも、あの部屋の本当のすごさがわかるのはまだこれからなんですよ」
「どういうことだい?」
「じつはあの部屋でしか眺められない特別な景色があるんです……」
私はわざともったいぶった。Kさんはじれながら私の言葉を待つ。
「明日午後4時過ぎになったら、ベランダに出て椅子に腰かけてみてください。徐々に両側に陸地が見えてきますから……」
私はさらにもったいぶる。
“だから、それはいったい何なんだ?”とKさんは子どものような表情で訴える。
「明日、船はジブラルタル海峡を越えます。見えてくる陸地は、左がヨーロッパ大陸、右がアフリカ大陸です。あの部屋はふたつの大陸を同時に眺めながら、大西洋に出航できるんです」
「へ〜。ってことは、コロンブスが見たのと同じ景色ってわけか?なんだかワクワクするなぁ。俺も新大陸を発見しちまおっかな〜」
少し興奮したKさんは、私の肩をポンポンと叩いて喜んだ。