登場人物
●主人公・・・・・・・鈴木豊成社長、六七歳、スーパーと自動車販売店の社長。
●妻・・・・・・・・・・・鈴木幸子、六二歳。
●長男・・・・・・・・・鈴木徳雄、三七歳、大手商社のサラリーマン、妻と子二人。
●二男・・・・・・・・・鈴木継男、三五歳、後継ぎ予定者、妻と子三人。
●長女・・・・・・・・・山田順子、安月給のサラリーマンの妻、子二人。
●祖父・・・・・・・・・鈴木高願、元公務員、一年前九二歳で死亡。
●祖母・・・・・・・・・鈴木末子、九一歳、専業主婦、未亡人、健在。
●税理士・・・・・・・内山実、六七歳。
●ファイナンシャルプランナー・・・神川万年、六三歳。
●弁護士・・・・・・秋山真治、六五歳。
●不動産屋・・・・あいされ不動産 野田社長、六六歳。
●公証人・・・・・・愛知憲雄
●主人公の友達・・・・山本
相続申告から2年後、税務署員が調査のため訪問
ここからは豊成の母の実家の話に入る。高願の妻(鈴木末子)の在所、加藤家の長男加藤重信が亡くなって二年目に税務調査に入られた。加藤家は近郊農家で少しばかりの農業と不動産の賃貸をしている標準的な農家である。
高願の三周忌の法要後の食事時に、後継ぎの加藤徹が酒が入ったこともあり、税務調査の愚痴が出た。後継ぎは車関連の工場で働いており、税務署とは今までまったく関わりがない生活を送ってきた。
加藤家は今でも質素な家系で、戦前に建てられた木造平屋建て、玄関は今風になっているが、土間を改造した広い玄関である。玄関を上がると、畳の部屋を改造した客間、その奥には昔ながらの八畳間が二間続き、奥の部屋が仏間となっている。玄関から仏間までは広い縁側で続く、典型的な農家屋である。
徹は学校を卒業して以来工場勤めであったので、家の財政状況などはまったく知らない。加藤家の主な家計は、亡くなった重信と母親かよが取り仕切ってきた。
重信の生前の申告内容は農業所得と不動産所得、そして農業者年金である。申告所得金額は年間一千万円前後の比較的安定した申告内容であった。
重信が亡くなって相続の申告をして二年もしてから、税務署が相続税の申告に疑問があると言って調査にやって来た。相続税の申告内容のうち、預金の貯まりようがどう見ても過去の所得税の申告内容から少ないのではないか、との疑問らしい。
重信の預金通帳の管理はいまでも重信の妻かよ八九歳が行っている。ボケ防止のためだと言っていまだに嫁には渡さない、しっかり者の母親である。
税務署員は「お母さん」と、やさしく尋ねた。
「お父さんの通帳が残っていたら見せて下さい」
税務署員はその通帳の記帳内容の中から一〇〇万円以上の出金だけを選んで書き出した。そして、
「お母さん、これらの出金について教えて下さい」
とやさしく言いながら、八九歳の年寄りを追求し始めた。最初のうちはかよも「忘れた」ととぼけていたが、何度も聞かれる尋問に困り果て、息子の嫁のいない間に「嫁には内緒だが」と言いながら、現金のありかを話し出した。
非課税の範囲内で貯めた「ヘソクリ」も夫の遺産に
「これは私が老後のために三〇年間、コツコツ内緒にためたヘソクリだから、私のものです」
そう言いながら、すがるように調査官の顔をのぞき込んだ。嫁には絶対に見つかっては困るのだ。
ベッドの下にある段ボールの中から、現物が出てきた。段ボールを開けて調査官はびっくりした。「現金一千万円、無記名債券五千万円と金の延べ棒一キロ」。調査官も税務署に入って初めての経験である。
そして、調査官はさらに尋ねた。
「お母さんがいま使っている通帳も見せて下さい」
現在使われている通帳は仏壇の引き出しの中から出てきた。調査官は、「ついでにその引き出しの中のものも見せて下さい」年金受け取りの普通預金通帳、不動産の収入が入ってくる通帳、そして、定期預金の証書が出てきた。定期預金の総額は一億円近くある。結婚以来コツコツと貯めてきたものである。かよが何かあったときのために農家の専業主婦をしながら、コツコツと着るものも惜しんで貯め込んだお金である。
税務署の調査官は言った。
「お母さんは専業主婦で、いままで結婚以来収入がなく、お父さんの配偶者でした。なんでこんなに貯金があるのですか。名義はお母さんになっていますが、実質は亡くなったお父さんのものですよね」
昭和一桁台の人間にとって、お上の言うことは絶対である。薄っぺらな紙切れ一枚で命まで召し上げられた時代に育ったからである。
口には出さなかったが、かよは思った。
「私は毎年贈与税の非課税の範囲内で七〇年間ヘソクリをしてきた。お父さんから通帳も印鑑を任され、合意のもとにヘソクリをしてきたのに、贈与は認めず、すべてお父さんの財産だというのは何ということだ。やっぱりお上は今も昔も変わらない。都合のいいように、命も財産も召し上げていくものだ」