前回は、ルノワールの晩年について紹介しました。今回は、「革新的」との評価が高い遅咲きの画家、セザンヌについて見ていきます。

13歳で後の文豪・ゾラと出会い、親友になる

音楽業界にはミュージシャンズ・ミュージシャン(音楽のプロから支持される音楽家)という言葉があります。それを踏襲すれば、セザンヌはまさにペインターズ・ペインター、つまり画家から支持される画家です。

 

セザンヌはモネの1歳年上で、印象派の画家と同世代になります。実際、印象派展には第1回と第3回の2回参加しています。

 

美術史上においては、ポスト印象派として、印象派の次の時代を開いた人物として知られています。印象派の運動を乗り越えようとした若い画家から「革新的」と高く評価された、遅咲きの画家なのです。

 

また、セザンヌは南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで生まれ育ち、13歳の時に同地の中学校で後に小説家になるゾラと親友になります。

 

ゾラといえば、『居酒屋』や『ナナ』で知られるフランスの文豪ですが、印象派のマネやモネを激賞した美術評論家としても有名です。ゾラとの友情もあって印象派の仲間入りをするのですが、偏屈な性格のせいか、いつのまにか疎遠になってしまいます。

 

セザンヌとゾラは、大変親しい間柄でした。

 

父親を亡くして極貧生活をしていたゾラは、パリ生まれでなまりが抜けなかったために、中学校でいじめられて孤独をかこっていました。そんなゾラを見かねた1学年上のセザンヌが、ゾラへのいじめをやめさせたのです。ゾラは大変感謝して、翌日、かごいっぱいのりんごを持ってゾラにお礼をしました。それ以来、二人は親友となり、セザンヌは後にりんごの絵で有名になるのです。

商業的にいまひとつだった個展も、画家仲間は高く評価

6年制の中学校を卒業したセザンヌは、裕福な銀行家だった父の希望に従い、地元の大学で法律を学んでいました。一方、ゾラは生まれ故郷のパリに戻って、本屋で働きながら小説家を目指していました。この時、本当は画家になりたいと思っていたセザンヌに、パリで絵の勉強をするよう背中を押したのもゾラです。二人は何度も文通をして、お互いの夢を語り合いました。

 

1861年、22歳のセザンヌは、とうとう大学を中退してパリに出てきます。美術学校には入れませんでしたが、代わりに通ったアカデミー・シュイスで、ピサロやモネといった後の印象派の仲間と知り合います。

 

しかし、田舎育ちのセザンヌはパリの人々が都会的に芸術談義をする輪に馴染むことができず、80年代からはエクスに隠遁して絵を描くようになります。

 

また、セザンヌとゾラは一時パリで共同生活をしていたこともあるくらい強い絆を持っていましたが、後年は絶交していたそうです。ゾラの描いた小説に出てくる画家を見て、セザンヌが、自分への侮辱と感じたためだといわれています。そのほかのエピソードを見ても、モネやルノワールとは異なり、なかなか気難しい人であったことが想像されます。

 

1906年に67歳で亡くなったセザンヌですが、初めての個展の開催は1895年、56歳の時とかなり遅いです。その個展の結果も商業的にはいまひとつでした。しかし、画家仲間には高く評価され、玄人に好まれる芸術家として晩年には多くの画家の賞賛を受けました。

本連載は、2017年4月28日刊行の書籍『「値段」で読み解く魅惑のフランス近代絵画 』から抜粋したものです。最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画

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髙橋 芳郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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