前回に引き続き、「印象派」を代表する画家、モネの「作品価値」を探っていきます。今回は、印象派が生まれた経緯について見ていきます。

当時の美術の常識を変えた、モネを中心とする印象派

なぜ、モネの絵画はそれほど高く評価されているのでしょうか。

 

一つには、いみじくもカンディンスキーが述べたように、キャンバスいっぱいに広がるさまざまな色彩が目に心地よく、見る人の心を揺さぶるからです。『積み藁』はモネの円熟期の作品で、最高傑作とされています。

 

もう一つの理由は、モネを中心とする印象派が美術界の革命児で、当時の美術の常識を変えたとして美術史に残る存在だからです。

 

現在でこそ確固たる地位を築いている印象派の作品群ですが、描かれた当時はアヴァンギャルド(前衛)で、美術界の権威や審査員や批評家から大変な反感を買いました。

 

そもそも「印象派」という名前は、当時の批評家から与えられた悪罵に由来します。後に印象派と呼ばれることになるモネやルノワールたちのグループが1874年に自前の展覧会を行ったところ、それを見にきた批評家のルイ・ルロワによって「ただの印象じゃないか」と新聞でこきおろされたのです。

 

なぜ「印象」という言葉が悪口になるのかといえば、当時の絵画において「印象」とは、仕上げを施す前の下描きを意味したからです。印象派の画家たちの粗いタッチは、当時の常識からすれば未完成の下描きにしか見えなかったのです。

 

また、モネ自身がその絵画に『印象・日の出』というタイトルをつけていたことも災いしました。自分から「下描き」だと名乗っているわけですから、格好の揶揄(やゆ)の対象となってしまったわけです。

「アカデミック絵画」のルールをことごとく破る

では、批評家から悪評を受けた、32歳のモネの作品に、『印象・日の出』があります。

 

確かに絵筆のタッチはラフですが、そのためにル・アーヴルの港の朝靄の風景がとても効果的に描けています。青い水面に反射する赤い日の光が美しい佳品です。

 

しかし、この絵は当時の絵画の常識からいえば破天荒なものでした。

 

その当時評価されていた絵画とは、たとえば次のようなものがあります。モネやルノワールと同じフランスの画家である、アレクサンドル・カバネルの同時期の作品、『パンドーラー』を見てください。

 

当時の権威あるアカデミック絵画には、次のようなルールがありました。

 

●明かりの調節できる室内で、時間をかけてきちんとした構図で描くこと

●筆の跡が見えないくらいに表面をなめらかに仕上げること

●描く題材は神話や歴史を主題として、人物を描いて寓意を持たせること

 

印象派は、これらのルールをことごとく破っていました。戸外で移ろいゆく光と影の瞬間を描く―そのために早描きで、筆のタッチが粗くなります。また神話や歴史ではなく、実際に生きている市井の人々や目に見える風景がモチーフとなったのです。

 

戸外での制作は、1841年のチューブ入り絵具の発明によって可能になりました。過去、絵具は描く時に随時顔料と油とを練り合わせて作るものだったので、室内アトリエでしか絵を描けなかったのです。

 

出来合いの絵具が売られるようになっても、当初は豚の膀胱に入れられていたため気密性に欠け、携帯することが困難でした。鉛のチューブが発明されてはじめて、絵を描く場が戸外へと広がったのです。

 

これが印象派を生み出す一つの要因になりました。カバネルと同じように人物を描いても、印象派のモネの場合は空想上の神話の登場人物ではなく、実在する自分の奥さん(カミーユ)を木漏れ日の中に座らせて描いたため、『春』のような作品ができあがりました。

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髙橋 芳郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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