選挙の「熱狂」が過ぎ去った今・・・
「新しい箒(ほうき)はよく掃ける」とは英語のことわざで、新任者は改革熱心であるという意味だ。しかし、スリランカの政治を見てみると、このことわざに疑念が生じてしまう。第一に箒は新しくなく、そして掃くべき床は余りにも汚れている。結局のところ、帚そのものではなく、全ては掃除をおこなうその人の手にかかっているのである。
通常いかなる選挙も、新政府の登場という以上の何か新たらしいものをもたらすものだ。例えば、新体制やニューフェイス、もちろん新たな夢も。選挙の直後は一時的に野党勢力が退き、楽観主義がその絶頂を極める最良の時期である。しかし、当然ながら2ヶ月後には、国民は選挙直後とは違う感情を抱いている。全く反対の感情というわけではない。ただ、もはや「楽観主義」という言葉とは違ったものになっている。
引き続き、成功を祈り希望を抱いてはいるが、この希望は疑念と強く結びついている。これは新たな政治風土であると説かれ、国民はその風土に適応するよう求められる。しかし、実際には口で言うほどたやすいことではない。
対立することでバランスを保つ二大政党制
新体制に慣れていないため、適応するのは容易ではない。他の民主主義社会と同じく、ある程度は上手く機能するこの二大政党制という体制に、スリランカ国民もこれまで慣れ親しんできた。双方の権力の均衡が保たれ、国民はだれも不平を口にしなかった。独立以降、国民は現政権を続投させるか、または引き下ろすかどちらか一方に票を投じてきた。
これまで二つの政党に対して同時に権力を与えるために投票したこともはかった。たった一度、大統領と対立する議会が誕生したことはあったが、大統領によって解散させられるよりも先に、とるにたらない理由によりわずか2年で終わってしまった。
二大政党制は政治的な違いだけではない。大部分の民主主義国家では、二つの政党は経済政策においてより強い特色を示す。イギリスの例を挙げよう。イギリスでの1920年代以降の二大政党は、保守党と労働党であった。労働党が登場し勢力を延ばす以前は、保守党と自由党が二大政党制を形成していた。保守党は、中道右派で「サッチャリズム」を登場させた政党である。サッチャリズムは1975年から1990年の間保守党を率いたかつての首相、マーガレット・サッチャーの政治戦略である。
一方、労働党は中道左派の政党であり、労働組合運動から発足した19世紀の社会主義政党である。現在では、硬派な社会主義からより穏健派の社会民主主義まで多様な政治思想を有する政党となった。二つの政党は、二つの対立する集団の象徴であり、特定の政策においてそれぞれに影響を与えている。この二党が統一することは、到底想像できない。絶対に上手くいくわけがないのだ。
次回は2015年にスリランカに行われた2つの選挙についてお伝えします。