日本仏教の母山とも呼ばれる「延暦寺」
前回の続きです。
5、延暦寺 滋賀県大津市坂本本町・京都市左京区
延暦7年(788年)、比叡山に伝教大師・最澄が一乗止観院(現在の根本中堂)を創建して比叡山を開く。戦国時代には織田信長による焼き討ちにあった。なお、延暦寺とは一つの寺の名称ではなく、「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の3つのエリアからなる広大な比叡山全域を境内とする寺院の総称である。
開山以来、1200年余りにわたって天台密教の拠点として、浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮、臨済宗の栄西など、後に新仏教の開祖となった日本仏教史に残る高僧を多数輩出。「日本仏教の母山」と呼ばれ、今もなお、修行道場として、多くの僧たちが日々厳しい修行に励んでいる。なお、延暦寺会館と居士林(こじりん)研修道場という2つの施設では、坐禅・写経などの体験修行も行っている。
6、醍醐寺 京都市伏見区醍醐東大路町
空海の孫弟子である理源大師聖宝が、874年に上醍醐山上に醍醐水の霊泉を得て小堂宇を建立し、准胝(じゅんてい)、如意輪の両観音像を安置したことに始まる。長い歴史の中、幾度かの火災や応仁・文明の大乱によって、隆盛を誇った下伽藍堂宇は焼失し、現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のものとなっている。951年に建立された五重塔だけが難を逃れ、府内最古の木造建築物として古の姿を今に伝えている。
醍醐寺の寺宝・伝承文化財は、約15万点におよぶ。それらは霊宝館に収蔵保存され、期間を定めて春夏秋冬で展示を変え、一般にも公開されている。境内は、史跡に指定されており、下醍醐、上醍醐に分かれて100余りの堂塔が散在する。
毎年、2月23日には、「五大力(ごだいりき)さん」の愛称で親しまれている「五大力尊仁王会」が行われ、巨大な鏡餅を持ち上げる力比べ(餅上げ)が行われることで有名。豊臣秀吉が行った「醍醐の花見」にちなみ、現在も4月第2日曜日には全山を挙げての花見会が開催される。
御所風建築物がみどころの「仁和寺」
7、仁和(にんな)寺 京都市右京区御室大内
仁和4年(888年)に宇多天皇が創建。皇室と縁が深く、明治期まで皇族が住職を務め、「御室御所」と呼ばれた。応仁の乱では、仁和寺は西軍の陣地になり、東軍の攻撃により寺院が全て焼失。その後、寛永11年(1634年)から、徳川家光の寄進によって再建が推進された。
重厚な二王門には左右に金剛力士像が立ち、京の三大門の一つにも数えられる。「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物がみどころ。京都一の遅咲きといわれる仁和寺の御室桜は背丈が低いのが特徴で、4月中旬から下旬が見頃。紅葉の名所としても有名。
8、平等院 京都府宇治市宇治蓮華
1052年、時の関白藤原頼通が、父道長より譲り受けた別荘を仏寺に改め、平等院としたのが始まり。その翌年には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶。
「極楽浄土」を寺院として再現したと言われている鳳凰堂内には、仏師定朝(じょうちょう)によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、長押(なげし)の上には雲の上で音楽を奏でる52体の雲中供養菩薩像が取り付けられていた。
中島に鳳凰堂の立つ阿字池を中心とした「浄土式庭園」と呼ばれる形式の庭園は、1990年からの発掘調査により平安時代築造の州浜が検出され、現在は創建当初の姿に復元整備された。2001年、博物館として「平等院ミュージアム鳳翔館」が開館した。
[図表]京都の世界遺産分布図