考える力を養うために必要なことはただ一つ
私自身が今から50年近く前、20代半ばで学習塾を開きました。学生時代からすでに自宅を教室がわりに使い、近所の中学生を教えていました。その後、教員免許を取るために一念発起して大学に入り直し、数学科で散々な目にあったことは先に述べました。この時の経験を活かせないかと思いついたのです。
授業のたびに黒板の前で、必死に考えさせられ続けた私は、ある時突然、問題が解けました。それまで頭の中にたれ込めていた靄が、いきなり晴れた。何もかもがスカッと見えるようになったのです。今にして思えば、私が大学で受けていたのは、まさに「思考」の授業でした。そして思考量の蓄積が、ある臨界値を超えた時に思考の質が変わったのです。驚くべき質的な変化を身を持って体験した私は、このやり方を自分の塾に導入してみました。
冒険でした。わからないところを丁寧に教えてあげることが、それまでの私の塾の存在意義だったとすれば、わからないままに放置しておくことが、それ以後のやり方となったのです。けれども、相手が大学生であれ、あるいは中学生でも、おそらくは小学生が対象だとしても、考える力を養うために必要なことは、ただ一つしかない。それは考えさせることだという確信がありました。
これが見事に当たりました。それ以前の授業では、子どもたちから質問を受けると、できる限りわかりやすく説明するよう心がけていました。けれども、やり方を変えてからは、子どもの質問に対して、さらに質問を返すよう意識を変えたのです。その意図は、子どもたちに自分で考えさせることにあります。
授業では極力説明を省き、いつも子どもたち自らに考えさせるよう努めました。疑問点を尋ねてきた子どもには、さらに質問を返して、自分で考えるように促す。時には、一時間の授業中、ひと言もしゃべらなかったこともあります。それでも子どもたちの成績が、ぐんと上がったのです。
子どもを急かさずに、ゆっくり考えさせる
少し自慢めいた話になったことはお詫びします。けれども、私自身が実は学生ベンチャーのはしりなのです。そして曲がりなりにも、思考教育の充実に努め、これまで何とかやってこられたのは、いつも「なぜ?」「どうして?」と考えるクセをつけていたからです。考える力を身につければ、その力は人生を変えるといっても決して過言ではありません。なぜなら勉強が楽しくなり、しかも楽になるのです。それまで学校の成績が今ひとつだった子どもほど、劇的な変化を見せるでしょう。しかも、考える力を一度身につけてしまえば、その力は一生使えるのです。
考える力を身につけるためには、ゆっくり考えること、これだけです。急がされると楽しくなくなります。考える間もなく教え込まれたりしても、何の達成感もありません。私の塾の思考の授業で1時間、問題と格闘した子どもたちは、たとえ答えにたどり着かなかったとしても、考え抜いた達成感に満たされた表情をして帰っていきます。急ぐ必要などまったくないこと、時間をかけて考えるなら、それだけで良いこと、答えを出さなくても構わないこと、そんな状況で勉強すれば、子どもは必ず変わります。
日本は資源に恵まれない島国です。エネルギーも食料も海外からの輸入に頼るしかありません。ということは輸入するための原資が必要です。この原資をこれまでは家電製品や自動車などを輸出することによって賄ってきました。精緻なモノづくり、メイド・イン・ジャパンのブランド力が、日本が生きていくための支柱だったのです。
でも、時代は変わっています。今はモノよりもソフトの時代です。すなわち頭の力で勝負しなければなりません。少子高齢化により人口そのものも減り続けるこの先の日本が、世界で生き残っていくためには、子どもたちに考える力をつけさせるしかない。これからの時代、まさに考える力が生きる力となるのです。