のろまな投資家が「出口戦略(エグジット)」を探さない理由
株式投資の本質が、未完成な資産のその未完成さを楽しみ、その変化を受けいれ続けることにあるとしたら、「(投資の)出口」という言葉をどう考えるべきなのか。
NISA、積立投資の普及、浸透が進んだ結果、「出口戦略(エグジット)」という言葉に触れることが増えました。いつ利益を確定させるのか、どうやって資産を現金化していくのが正解なのか。
しかし、この「出口」という言葉、企業がゴーイング・コンサーンの生命体であることに加え、私たち一人一人の命がいつまで続くかわからないことを踏まえると、真正面から向き合うべきものかどうか疑わしいのです。
出口とは、本来、火事の現場や窮屈な劇場、あるいは危険な状況から安全な場所に逃げ出すための“脱出口”を指す言葉です。もし私たちが投資に対して必死に出口を求めているのだとしたら、それは上に下に評価が不安定にブレ続ける状況から一刻も早く逃げ出したい、投資を通じて関わっている企業との関係を清算してしまいたい、なにより、こうした毎日を「苦痛」だと見なしている証拠ではないでしょうか。
しかし、のろまな投資では、出口を探しません。なぜなら、のろまな投資は、苦痛からの避難ではなく、より良い社会を共に築く「つながり」であり、そのプロセスそのものが人生の報酬だからです。
もちろん、生活のために資産を取り崩す日は来るでしょう。しかし、それは「(速く、あるいは、効率重視の)清算」ではなく、共に育てた木から「果実を収穫する」ような、温かな循環の一部であるはずです。
その状態から逃れることに安堵するのではなく、感謝しながら別れを惜しむのに近いものがあるはずです。ですから、一刀両断に一気に資産を清算するという行動を取る必要もありません。
あなたが「のろま」に歩み、丹念に育て上げた資産は、もはや単なる数字の羅列ではなく、あなた自身の人生の一部となっていることでしょう。出口を探して焦るのをやめ、未完成であることの豊かさを抱きしめる。そのとき、投資は「未来を不安がる作業」から、「現在を豊かに生きながら未来に希望を託す意志」へと変わります。
誰かの作った出口を目指して急ぐのをやめ、自分自身の「納得」という石を積み上げ続ける。その未完成な歩みこそが、あなたを本当の意味で「豊かさ」へと導いてくれるのです。
リチャード・ケイ
コムジェスト
ファンド・マネージャー