「使ってもいいはずなのに、踏み切れない」
「数字だけ見れば、余裕があるはずなんです。でも、使うのが怖いんです」
そう話すのは、地方都市で一人暮らしをする一郎さん(仮名・74歳)です。
一郎さんは会社員として定年まで働き、退職金や貯蓄を積み上げてきました。現在の金融資産は預貯金や有価証券を合わせて約9,000万円。住宅ローンはすでに完済しており、持ち家に住んでいます。
年金収入は月約18万円。日々の生活費は年金でまかなえていますが、大きな支出はほとんどしていません。
「旅行にもほとんど行きませんし、外食も控えています。何かあったときのために、できるだけ使わないようにしています」
友人からは、こう言われることもあるといいます。
「それだけ資産があるなら、もっと楽しめばいいのに」
「何のために貯めたの?」
しかし、一郎さんにとっては簡単に割り切れる話ではありませんでした。
「今は元気でも、いつ体が動かなくなるか分からない。介護が必要になったら、どれくらいかかるのかも見えません」
厚生労働省の資料によれば、介護費用は在宅か施設かによって大きく異なり、長期化すれば家計への負担は無視できません。さらに、医療費や住宅の修繕費など、将来発生し得る支出は多岐にわたります。
「使ってしまったあとで足りなくなったらどうするのか。その不安が、どうしても消えないんです」
総務省『家計調査報告〔家計収支編〕2025年平均結果の概要』によると、65歳以上の単身無職世帯では、可処分所得が月約12万円に対し、消費支出は約15万円と、平均的には毎月の赤字となっています。不足分は、貯蓄の取り崩しで補っているのが実態です。
「自分も、いずれは取り崩すことになるのは分かっています。でも、その“減っていく感覚”が怖いんです」
いわゆる「長生きリスク」――想定より長く生きることで資産が尽きる不安も、一郎さんの心理に影響を与えていました。
「90歳、100歳まで生きるかもしれないと考えると、今どれだけ使っていいのか判断がつかないんです」
