「することがない」生活が、心と体を削っていく
和子さんの一日は、施設のスケジュールどおりに進みます。決まった時間に食事が運ばれ、掃除も洗濯も職員が行う。安全面を考えれば、理にかなった仕組みです。しかし和子さんは、ある日こう漏らしました。「包丁は危ないからって、使わせてもらえなくなったの。洗濯も触らないでっていわれてね……」その声には、寂しさが滲んでいました。
高齢者にとって、家事や外出は単なる作業ではありません。それは「自分で決めて、自分で動く」という、生きる実感そのものです。それが一つ、また一つと取り上げられていくと、体を動かす理由も、考える理由も失われていきます。
ファイナンシャルプランナーとして多くの高齢者相談に関わるなかで、筆者は何度も似たケースをみてきました。身体的には大きな病気がなくても、「役割」を失った途端、急速に衰えていく人たちです。
さらに見落とされがちなのが、お金との距離感です。施設では生活費が定額化され、本人が支出を考える場面がほとんどなくなります。今日はなにを買うか、いくら使うか、そうした日常的な判断が消えていくことも、認知や意欲の低下に少なからず影響します。
和子さんがぽつりといいました。
「私、ここにいて、なんのために生きてるんだろうね」
安心のための選択が、奪ってしまうもの
和子さんが入居して半年後、要介護度は一段階上がりました。健一さんは帰りの電車の中で、自分の判断を何度も反芻したといいます。
「守っているつもりで、奪っていたのかもしれないなって……」
老後の住まい選びで、本当に大切なのは「どれだけ手厚いか」ではありません。どれだけその人の生活の主体を残せるか、です。すべてを任せる環境が、必ずしも最善とは限りません。見守りを受けながらも自分で生活を組み立てられる住まい、在宅介護と外部サービスを組み合わせる形など、選択肢は本来もっとあったはずです。
月額18万円という金額も、「安全のため」と考える前に、そのお金でどんな生活が成り立つのか、一度立ち止まって検討する余地がありました。老後資金は、長く生きるためだけのものではありません。その人らしく生き続けるための資源です。
「楽をさせたい」という思いは、間違いなく愛情です。ただ、その愛情が、親の生きがいまで奪っていないか。老人ホームを検討するそのときこそ、私たちはその問いと真正面から向き合う必要があります。失われるのはお金以上に、取り戻せない時間と、生きる力なのです。では、どう備えればいいのでしょうか。
