「1円も稼がないこと」の価値
女性の労働参加率はすでに70%を超えている。これは先進国の中でもトップクラスの水準だ。(※1)
それでもなお、「もっと女性に働いてもらうべきだ」と主張する有識者の声は根強い。確かに、ドイツやイギリスなど、日本よりも女性の労働参加率が高い国もある(2020年)。(※2)
だが、ここで僕は、冒頭に登場したお母さんの代わりに声を上げたくなる。
こうした議論の多くは、家事や育児などの「無償労働」の存在を見落としているように感じるからだ。
6歳未満の子どもを育てている家庭では、妻が家事や育児に使う時間は、1日7時間34分。一方、夫はわずか1時間23分だ。日本の女性は、他の先進国の女性よりも1〜2時間長く無償労働を担っており、男性は逆に1〜2時間も短い。この差は1日当たりのものだ。1年続けば膨大な時間になる。
「もっと女性に働いてもらう」と言う前に、すでに多くの女性が“働いている”事実にまず目を向けるべきではないだろうか。
外で働きたいと思っても、働けない人たちもいる。家事や育児といった無償労働を正当に評価し、それが女性に偏りすぎているという社会の構造的な問題を、きちんと共有する必要がある。
かつては、労働に値段などついていなかった。地域や家庭で、みんなが役割を分担してきた。それが、貨幣経済の発達とともに、「自分たちにできないこと」あるいは「他人に任せたいこと」にお金を払って外注するようになった。ただ、それだけの話だ。お金を介さない仕事に価値がないわけではない。
特に育児は、目に見えないストレスがつきまとう。誤飲、喘息(ぜんそく)、発熱、夜泣き──気が休まる瞬間などない日々もある。こうしたケアには、お金を出しても他人に任せられない仕事もあれば、任せたくない仕事もある。
漫画原作の大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」が注目されたとき、「愛情の搾取に断固として反対します」というセリフとともに、専業主婦の適正給料も話題になった。
2011年のデータによると、専業主婦の年収は445万円になるそうだ。(※3)
また、実際に料理、掃除、洗濯、保育園や習い事の送迎、子どもの体調管理に至るまで、すべてを外注すれば、そのコストは年間1,000万円を軽く超えるという計算もある。(※4)
そもそも、外での仕事と育児を比べれば、人類にとって重大なのは明らかに育児だ。外で仕事をしなくても人類は滅びない。だが、育児をしなければ確実に滅びる。
もちろん、「だから女性が家庭にいればいい」という話ではない。問題は、育児という負担の大きい仕事が女性に偏っている社会の構造だ。男女どちらも自由に育児や家事を担える社会でなければ、少子化も労働力不足も解決できない。
冒頭の母親が口にした「ママは家の中で大事な仕事をしているのよ」という言葉は、まぎれもない事実だ。そして今、求められているのは、「パパも家の中で大事な仕事をしている」と自然に言える社会をつくることだ。
また、大事な仕事だからといって、外注してはいけないわけでもない。外注するかどうか──つまり「お金を払って他人に任せるか」の判断は、それぞれの家庭の価値観によって決められるべきものだ。
「アレルギーが心配だから」と早起きして弁当を作る家庭もあれば、「手作り弁当よりマックで食べたい」と言う子どもに千円札を渡す家庭もある。
どちらも、それぞれの生活のなかで選ばれた、大切な選択だ。
こうした視点で見直すと、「お金で価値を測る」という社会の目線が、いかに私たちのリアルな生活からずれているかに気づかされる。
「お金を稼ぐ人が偉い」──この価値観が変わらない限り、家事や育児という人間社会を支える根幹の仕事は、正当に評価されないままだ。そして今、この価値観の延長線上で少子化が加速し、深刻な労働力不足が起きている。
日本全体で人が足りない以上、「給料さえ上げれば人が集まる」といった単純な発想では解決しない。
ならば、外国の労働力に頼るという方法はどうか。移民の受け入れには社会的ハードルが高いが、これまでも私たちは、海外で作られた製品を買うことで、国内の労働力不足を補ってきた。たとえば、農家の減少を、食料の輸入でカバーしてきたように。しかし、そのツケが今、私たちの目の前に現れている。
それが、「物価高騰」だ。
給料が追いつかないのに、物の値段ばかりが上がっていく。これは偶然ではない。
私たちの財布から消えた「値上げ分の百円玉」はいったいどこへ行ったのか?
この問いの先には、海外に依存しすぎた日本社会の問題が横たわっている。
※1 内閣府男女共同参画局「男女共同参画白書 令和4年版」(2022年)によると、2020年の日本の女性の生産年齢人口の就業率は70.6%で、OECD諸国平均の59.0%よりかなり高く、1位のスイス(75.9%)と比較しても遜色ない水準にある。
※2 内閣府男女共同参画局「男女共同参画白書 令和4年版」(2022年)
※3 白河桃子・是枝俊悟『「逃げ恥」にみる結婚の経済学』(2017年、毎日新聞出版)
※4 Goldhill, Olivia. “How Much is a Housewife Worth?” The Telegraph, 15 October 2014
田内 学
社会的金融教育家・作家
