今回は、囲碁棋士・曺薫鉉氏が型にはまらず、自分で見つける努力をし、ゆるぎない「自我」を得るに至るまでの考え方を、エピソードとともに紹介します。※本連載は、棋士・曺 薫鉉氏著、戸田郁子氏訳『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉(チョフンヒョン)の考え方』(アルク)の中から一部を抜粋し、世界最多勝、世界最多優勝を誇る伝説の囲碁棋士・曺 薫鉉氏が自らの経験をもとに、日々起こるものごとを肯定的、創造的に捉え、人生で勝つための考え方を語ります。

囲碁における「流」とは?

囲碁には「流」というものがある。囲碁の棋風の違いを言う言葉だが、ここには自分なりの考えや、求めていることが現れる。

 

私の囲碁は、ツバメのように素早く華麗だという評価を受けている。型にはまらず、危険を顧みず激しい戦いを行うという意味だ。反対に、李昌鎬は、ゆっくりで平凡だと言われる。相手の挑発にも動じずに耐え、黙々と自分の道を行くスタイルだ。だから彼には「石仏」というあだ名がついた。

 

徐奉洙は泥沼のような戦いを恐れないけんか碁で、「雑草」というあだ名が付いた。劉昌赫は厚みがありながらも華麗な攻撃で、「一枝梅(いるちめ)」(古典に登場する義賊)と呼ばれる。このように、しっかりとした囲碁の世界を構築した者たちは皆、自分なりの「流」を持っている。

 

この「流」は、絶対的に強いというわけではない。相手によってその「流」が強く作用することもあれば、弱く作用することもあるが、それだけではない。すべての流には強みと弱みがあって、互いに補強し合いながら進化を続けていくのだ。

 

棋士にとって自分の「流」は、一種の自我だ。どのような碁を打つかは、この世の中をどう生きていくかという、自分なりの宣言だ。だから巨匠たちの囲碁の対戦は、互いの世界観や価値観の衝突のようにも思える。囲碁が四千年もの昔から生き続け、今も健在である理由は、単純なゲームではなく、その中から人生観や哲学を読み取ることができるからだ。

 

ところが残念なことに、最近の韓国の囲碁からは、新しい流を発見するのが難しくなってしまった。新人棋士が囲碁を打つのを見ていると、かなりうまい。しかしどこかで見たことのある碁だ。誰かの棋譜、誰かが創案した定石どおりに打っていると感じることが多い。そろそろ独創的な手が出てきても良さそうなものなのに、いくら待っても、当たり前の手しか出てこない。このごろの囲碁はどうしてこんなにつまらないのかという不満が、囲碁愛好家たちの口から出る。なぜこんなことになったのか。私は、その理由は教育にあるのではないかと思っている。

 

最近の囲碁教育は、学習塾形式だ。学習塾では、先生が一つ一つ丁寧に教えてくれる。短時間で結果を出し、学生にも親にも満足感を与えるためだ。だから学生に考える自由を与えることより、まず公式を覚えさせる。考えながら碁を打つのではなく、公式に従って打つことばかりを教える。その結果、子どもたちの囲碁の試合は、考えを競うのではなく、どちらがより多くの情報を手に入れたかを競うテストのようになってしまった。こんな囲碁教育では、自分なりの「流」が生まれるわけがない。詰め込み式の教育を受けた子どもたちが、教科書以外の知識を想像することができないのと同じことだ。型にはまった教育は、型にはまった思考、型にはまった自我を作り出す。考えが限定されれば、自我も限定されてしまう。

「答えはないが、答えを探そうと努力するのが囲碁だ」

私の人生での最大の幸運は、私の自我を原型のまま保存してくれた良き師と出会ったことだ。私の師匠である瀬越憲作は、韓国ではあまり知られてはいないが、日本では現代の日本囲碁界の礎を築いた英雄として尊敬を集める人物だ。師は生涯、三人の弟子しかとらなかった。世界の囲碁の流れを変えたと評価される呉清源、関西棋院の創始者である橋本宇太郎(うたろう)、そして私の三人だ。呉清源は一九三〇~一九五〇年代、日本のトップ棋士たちとの「打ち込み十番碁」(十戦のうちどちらかが四戦勝ち越すと、実力差があるとして、手合い割りが変更される[=相手にハンディを与える]方式で戦う)で、次々と相手の手合い割りを改め、「昭和の碁聖」として崇められた人物だ。橋本は一九四〇~一九七〇年代にわたって本因坊戦、王座戦、十段戦で何度も優勝を果たした人だ。そして私は、世界最初の囲碁オリンピックである応氏杯で優勝してチャンピオンになったから、師は三人の弟子すべてを世界の第一人者として育て上げたことになる。

 

私は十一歳の時に師の生涯最後の内弟子となり、九年の歳月を師と共にした。こぢんまりとした日本式の木造住宅で、八十歳を超えた師と十一歳の私、そして師の息子さんの妻である「ママちゃん」と、後に共に暮らすことになる秋田犬の弁慶、三人と一匹でその家に暮らした。その九年の間に、私が師から囲碁を習ったのは、それこそ指を折って数えられるほどしかない。師は指導や対局はほとんどしなかった。まれに並べ直してみよと言われる以外には、あまり話もしなかった。

 

幼い私は、とても寂しかった。師匠はお年のせいで、頭がよく働かないのだろうか。私をなぜ呼び寄せたのかも忘れてしまわれたのではないかと、心配になった。しかしそれは誤りだったということに、何年もたってからようやく気付いた。ある日、夕食の時に師が私の顔をじっと見つめて、こんなふうに言われた。

 

「わしが答えを与えてくれるとでも思っているのか。答えがないのが囲碁なのに、わしが答えられると思うのか。答えはおまえが自分で探せ」

 

そして、こう付け加えた。

 

「答えはないが、答えを探そうと努力するのが囲碁だ」

 

九年も一緒に暮らしながら、瀬越先生は私に囲碁をどう打てとか、そうじゃなくてこう打てといった話は、ただの一度もされなかった。私が外で誰とどんな囲碁を打ったか、師はすべて知っていたはずなのに、一切干渉をしなかった。私はまさに全く型にはまらず、自由奔放に囲碁を習った。

 

先生が悩む学生に答えを教えるのは、実は一番簡単な解決法だ。しかしその方法では、学生は答えを受け入れるだけで、悟りは得られない。悟りとは、考えるという過程を通してこそ得られるものだからだ。

本当の幸せはしっかりとした「自我」から来る

瀬越先生は、囲碁をどう教えれば良いかを正確に知っていらした。師はただ方向を示すのみ、一人で学べるように放っておくのが、正しい囲碁の教育なのだ。師のこの教育方針のおかげで、私はたった一つの妙手を探し出すために幾晩も苦しみもがきながら、黄金のような十代を送ることができたのだった。

 

公式を覚えて問題を解くのは簡単だ。しかしその方法では、少しでも公式から離れた問題が出たらお手上げだ。反対に、一人で悩み抜いた者は、公式など知らなくとも大丈夫だ。考えながら、自分だけの解き方を探し出せばいい。

 

定型化された囲碁教育を受けたことがないから、私はいつも自分のやり方で、自分の思いどおりに囲碁を打った。それが後に、私ならではの攻撃型囲碁となり、「ツバメ流」「魔術師」「火炎放射器」などという独特の評価を受けることになった。

 

考える自由を与えれば、子どもたちは自分で考える。自分で考えた子どもは、個性が強くなり自我がしっかりと育つ。人生を自分だけの方式で生きてゆく自信がつき、確実な人生を形成することができる。

 

考えは、どんな選択をすべきか、どちらの方向に行くべきか、その答えを導く道具だ。考えることをしない者は、日常の小さな選択まで、人に尋ねて顔色をうかがう。ああすればいいのかこうすればいいのか、心配しては不安になり、誰かに助けを求めてしまう。

 

最近、人生の悩みに答えてくれるメンター(助言者)の需要が爆発的に増えている理由はなぜだろうか。それは、一人の力で考えられない人が増えたという証拠なのではないか。

 

不安な自我を抱えたまま生きる人が増えているということではないだろうか。

 

人は、幸せがお金や名誉、成功から来るものと考える。しかし私は、本当の幸せはしっかりとした自我から来るのだと信じている。自我とはすなわち、自尊心だ。自我がしっかりしていれば、どんな状況になっても迷いはしない。他人の視線や社会の物差しを気にせずに、自分の信念どおりに行動する。

 

もちろんこのような自我は、たやすく手に入るわけではない。一人で考える習慣と、自己省察、深い思考を通じてこそ、得ることができる。どこに出ても他人の顔色を気にせず、臆せず、自分の考えを堂々と明らかにし、自分の信念どおりに行動する人。そんな人になりたければ、まずは考えることから始めよう。

世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉(チョフンヒョン)の考え方

世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉(チョフンヒョン)の考え方

曺 薫鉉(チョ・フンヒョン/조훈현)

アルク

世界最多勝(1946勝)、世界最多優勝(160勝)を誇る「囲碁の皇帝」曺薫鉉は、どのようにして戦いに勝ち切ってきたのか? 満九歳で来日し、九年間の修行生活を送った曺薫鉉。瀬越憲作を精神的な師、藤沢秀行を盤上の師とし、韓…

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