「10年遅く始めてたら、今ごろ山の斜面の随分下にいた」
ウォーレン・バフェットは米国のコロンビア大学大学院に入学する頃(1950年)には既に9,800ドルの資産を持ち、大学院を卒業した21歳の頃にはそのお金を1万9,738ドルにまで増やしています。
こうしたお金がその後の投資の元手となっていくわけですが、さらに遡れば、バフェットは6歳の時、アイオワ州にあるオカボジ湖にある山荘で一家が休暇を過ごした際、コーラ缶6缶を25セントで買い、それを湖に行って1缶5セントで売ることで6缶で計5セントの利益を上げるという小さなビジネスをしています。
休暇を終え、故郷のオマハに帰ってからは祖父の雑貨屋で仕入れたソーダを一軒一軒売り歩いてもいます。生活に困っていたわけではありません。大恐慌の直後こそ父ハワードは職を失い、新しく立ち上げた証券会社の顧客開拓に苦労したものの、バフェットが6歳になる頃には家庭の経済状態は随分と好転していました。
バフェットは「お金が好き」という以上に、自分の小さなビジネスによって「お金が増えていく」のを見るのが好きな少年でした。以来、競馬場で予想紙を発行したり、ゴルフ場でロストボールを集めて売ったり、あるいは友達と組んでビジネスをしたこともあれば、子ども50人を使って新聞配達もしています。
こうして早くから蓄えた資金がバフェットの「雪の玉」になりました。
「私は小さな雪の玉をずいぶん若い時から固めた。10年遅く固め始めたら、今ごろ山の斜面の随分下にいただろう」は、晩年、バフェットが若い頃を振り返っての言葉であり、投資に限らずビジネスなどで勝利するためには「先頭を行く」大切さを説いています。
実はこうした早いスタートは多くの成功者に共通することです。米国史上最も莫大な富を築いたと言われるジョン・ロックフェラーは、父親から「1日も早くビジネスをやれ。人生はマネー、マネー、マネーだ」と言われ、高校を中退して入社した商社で小麦の買い占めなどで大きな利益を上げています。
「世界三大投資家」の1人ジム・ロジャーズも6歳から小さなビジネスを始めていますし、イーロン・マスクも12歳の頃には自分がつくったゲームでお金を手にしています。
早くから世の中に出て働けという意味ではありませんが、たとえささやかでも早くから「お金を稼ぐ」経験をするにこしたことはありません。お金を稼ぐ大変さと面白さを早くから経験することは間違いなくその後の財産となるのです。
【バフェットのルール】
資産づくりのスタートは早い方がいい。時間ほど貴重なものはない。