M&A業界のトラブルと健全化に向けた取り組み
前回、M&A仲介サービスの利益相反を原因とするトラブルが増えており、中小企業庁が指導する形で業界の自主規制団体であるM&A仲介協会を実効性のある枠組みにしていこうとする取り組みが進んでいるという話をしました。
今回は、M&A仲介サービスの過去に生じたトラブル事例や、M&A仲介協会の業界健全化に向けた取り組みを紹介したいと思います。同時に、事業売却を検討する売り手オーナーが留意すべきM&A仲介サービスの構造上の限界についても解説します。
M&A仲介業界の歴史
まずは、M&A仲介業界のこれまでの歴史を簡単におさらいするところから始めましょう(図表1)。
2010年代に入ると、主に事業承継ニーズを背景に、中小企業においてもM&Aの活用が広まっていきます。現在の大手M&A仲介会社でいえば、日本M&Aセンターが2006年、M&Aキャピタルパートナーズが2013年、ストライクが2016年に続々と上場を果たしています。当時はまだ具体的なルールが整備されておらず、支援の内容や品質については各社の裁量に任されていた時代だったといえます。
一方で、中小企業におけるM&Aのさらなる普及に伴い、M&A仲介会社間の支援品質のばらつきや利益相反を理由にしたトラブルが目立つようになります。そこで、中小企業庁は2020年に「中小M&Aガイドライン」を整備します。中小M&Aガイドラインは、①後継者が不在の中小企業と②M&Aの支援機関を対象としたM&Aに関する指針で、中小企業のM&Aにおける当事者や支援機関が適切な行動をとるための指針を提供するものです。
なお、この中小M&Aガイドラインにおいては、特に支援機関に対する罰則規定等は設けられておらず、あくまでもガイドライン・指針として整備されたものですから、法的な強制力があるものではありません。そこで、中小企業庁はM&A活性化に向け開始した「事業承継・引継ぎ補助金」の制度に組み込むことで、同ガイドラインを実効力のあるものにしようと進めていきます。
「事業承継・引継ぎ補助金」にはいくつかの類型がありますが、端的にいえば、事業承継の当事者がM&A支援業者のサービスを活用する際、国がその費用の一部を負担するというものです。この補助金制度を活用するためには、M&A支援業者が中小M&Aガイドラインを遵守し、その旨を対外的に宣誓することで、国のM&A支援機関として登録していなければなりません。こうした取り組みによって、M&A支援業者の中小M&Aガイドラインの遵守を促そうとしたわけです。
中小企業庁は、さらに2021年11月から情報提供受付窓口、いわばM&Aの当事者からの直接のクレーム受付窓口を設置し、業界のサービス提供状況をモニタリングする運用を進めます。業界の自主規制団体であるM&A仲介協会の設立(2021年10月)も推し進め、業界の健全化に向けた取り組みを加速させました。2023年9月には報告されたトラブルや問題提起を受けて中小M&Aガイドラインを改訂するなど、その取り組みは続いています。
しかし、M&A仲介サービスの利用者であるオーナー経営者からのクレーム、トラブル報告はあとを絶ちません。2023年12月には中小企業庁が促す形で、自主規制団体であるM&A仲介協会の自主規制ルールが強化されることになりました。この自主規制ルールは、過去に実際に生じたトラブルを念頭に、それらを防止するためのルールですから、M&A仲介サービスにどのようなリスクが存在しているのかを理解するにあたって非常に参考になるものです。以下、主なものを紹介していきたいと思います。
●M&A仲介サービスの利益相反を原因とするトラブル(図表2)
M&A仲介サービスにおいてよく指摘される利益相反とは、本来中立の立場でありながら、片方の顧客の利益を優先することによりもう一方の利益が損なわれるという、構造上の問題を指しますが、それだけではなく、業者が売り手、買い手の両者を差配できる立場であるがゆえに、顧客の利益より自己の利益を優先させるという、顧客と業者の間の利益相反が生じるリスクも存在します。業者が自己の利益を優先して、一方の当事者から依頼された情報伝達を行わなかったり、当事者が告げていない事項を偽って他方に伝達したりと、情報操作を行った結果としてより高い手数料を手にするケースなど、双方の顧客の利益を損なう形の利益相反も含まれます。
●激しい営業競争が生むトラブル(図表3)
M&A支援業者は増加の一途を辿っており、業者間の営業競争は熾烈を極めています。そのなかで図表3のような、当事者を無視した倫理観に欠ける業者の行動がトラブルとして報告されています。
M&A(合併・買収)の仲介サービスの利益相反問題は、これまでもたびたび指摘されてきました。中小企業庁が設置する情報提供窓口へのM&A当事者からのトラブル報告があとを絶ちません。中小企業庁の指導のもと、自主規制団体であるM&A仲介協会が旗振り役となり業界の健全化を急いでいることは、この連載の中でもお話したところです。
M&A仲介サービスは、中立の立場で売り手と買い手のマッチングを提供するサービスです。特定の当事者を保護し、利益を追求するサービスではありません。本来求められる中立の立場を維持するためには、両者を差配できる立場にあるM&A仲介会社の担当者が、顧客の利益よりも自己の利益を優先させることがないような防止策を講じていく必要があります。
その点、M&A仲介会社における従業員の給与体系がトラブル発生を助長してしまっているように思うのです。M&A仲介業界では、基本給与が低い水準に設定され、成約1件につき数百万円、案件によっては1,000万円超のボーナスが支給される設計になっていることも少なくありません。このような給与体系では、背に腹は変えられずに担当者が自分のボーナスを優先させてしまうこともあるのではないでしょうか。その担当者に守るべき家族がいればなおさらのことです。
中小M&A業界に優秀な営業マンを集める点では、このような報酬設計が非常にうまく機能してきました。しかしM&A仲介サービスの利益相反問題を原因とするトラブルが止まないのであれば、業界全体として、行き過ぎた給与体系を見直すべきではないかと思うのです。
そもそもM&A当事者の利益を保護する目的においては、売り手、買い手双方を顧客として中立の立場で支援をするM&A仲介サービスの構造には限界があります。中長期的には諸外国と同様、M&A当事者の立場に立った支援が可能なファイナンシャル・アドバイザリーサービスの普及が期待されるところです。ただ、仲介サービスの枠組みの中で短期的にトラブルを減らしていく上では、業界の給与体系に一定のルールを定めることが有効です。行き過ぎた給与体系がM&Aの当事者と仲介業者との間の利益相反リスクを顕在化させない努力が必要です。
中小M&Aガイドラインに実効性を
さる2024年8月30日に中小M&Aガイドライン第3版が公開されました。
今回の改訂でもM&Aの当事者の利益を守ることを目的として、M&A支援業者に対して求める指針が追加で定められました。昨今メディアで多く取り上げられている、売り手オーナーの経営者保証に関する指針なども新たに示されました。M&A仲介サービスの利益相反を原因とした過去のトラブル事例などを参考に、正しい方向で改訂が進んでいる印象です。
ただその名称が示すとおり、同ガイドラインは法規制ではありません。仮に遵守をしなくとも、M&A支援業者に重大な罰則がないのが実態です。M&A支援業者は同ガイドラインを遵守していなければ国のM&A支援機関として登録ができず、顧客はその業者を利用してM&Aを行っても国の「事業承継・引継ぎ補助金」を申請することができません。しかし、限られた予算と採択基準の不透明さも相まって補助金が広く活用される状況には至っておらず、罰則としての効果は限定的です。
業界の実務を見渡せば、残念ながら同ガイドラインを遵守していないM&A支援サービスの事例が散見されます。次々に新しい指針が追加されていくなか、同ガイドラインが実効性を持って業界実務を牽引しているとは言い難い状況でしょう。
中小M&A業界のルール作りにおいて、いま最も求められるのはM&A支援業者に対する罰則規定です。一足飛びに法規制に基づく罰金や業務停止、ライセンス取消しなどを導入するハードルは高いと思いますが、例えば同ガイドラインを遵守しない業者名を公表するなどの対応はすぐにでもできるはずです。中小企業庁においても、抜き打ちでM&A支援サービス利用者へヒアリングを行うなど、より積極的にサービス提供実態の把握に努めることが求められます。
業界の健全化に向け、今こそ同ガイドラインの実効性をいかに担保するか真剣に議論が行われるべき時です。
業界健全化が実現されたとしても、M&A仲介は「中立の立場」でのサービス
仮に中小M&AガイドラインやM&A仲介協会の取り組みが功を奏し、中小M&A業界の健全化が進んだとしても、M&A仲介サービスはあくまでも中立の立場で売り手と買い手をマッチングするサービスであるということを理解して活用しなければなりません。そうでなければ、利用者の「自分のメリットを考えた支援をしてほしい」というニーズと、M&A仲介が提供できるサービスの限界との間に大きなギャップが生じてしまいます。
サービス構造に起因する、売り手にとっての仲介サービスのデメリットについては、次回「FAと仲介の違い」において詳細を解説します。
作田 隆吉
オーナーズ株式会社 代表取締役社長
本稿執筆者登壇!>>1/13配信
事業譲渡「失敗」の法則
M&A仲介会社に任せてはいけない理由
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