「考え抜く喜び」を理解できれば、難問も解けるように
筆者の塾では毎年、卒業生に対して「思考教育で得たもの」をテーマに、作文を書いてもらっています。その中には、こんなことを書いてくれた生徒がいます。
『問題を楽しめる塾』と題して、塾で得たのは「問題を楽しむことだった」とあります。この生徒・Iさんは、灘中学校に合格しました。あるいは中学生では『勉強って楽しい』と題して、塾で得たものは「勉強って楽しい」と思える気持ちだと綴られています。この生徒Yさんは、京都の洛南高校に合格しました。
Iさんは、「いろいろな難問にぶつかった。それでも解く気になれたのは、問題が解けた時にとても嬉しかったからだ。もう一つ得たものは、最後まで根気強く考えることだろう」と続けています。
一方、Yさんは「中2か中3頃から、急に問題を解こうという気持ちになった。(中略)そして、そのあたりから、特に英語や数学の思考問題が好きになっていった。好きになった理由は、特に思考に言えることだが『解けるから好き!』ではなく『難しい問題を解いた後気持ちがよいから好き』である」と書いています。
多くの生徒に共通して書かれているのが「考えて、考えて、考え抜く喜びを理解できた」ということです。
いずれにしても、難問を解ける喜びを素直に語ってくれています。というと、もしかすると、ここまで本連載を読んでこられた方は、妙な気持ちになられるかもしれません。
ここまでずっと私は、塾で難問に取り組ませる理由は、あくまでも子どもたちに考えさせることにあって、解けなくても構わないのだと言い続けてきました。
けれども、結果的には、子どもたちは解けるようになるのです。実はこれが、考える力をつけることの意味です。解けない難問をずっと考え続けていると、自然に考える力が養われます。これは算数の入学試験問題を解くためのテクニックを身につけることとは、まったく次元の異なる話です。
考える力さえあれば、小手先のテクニックなどまったく不要です。むしろ、テクニックをたくさん詰め込んでいると、素直に考えることができなくなります。
考える力を伸ばすためには「考え続けること」が大事
では、考える力を伸ばすためには、どうすればよいのでしょうか。答えは一つです。何か具体的な問題について、考えさせること。これしかありません。
もちろん、子どもたちにとって、さっぱりわからない問題を考える時間は、最初のうち苦行でしかないでしょう。実際、私の塾に入ってくる子どもたちはみんな、初めの授業で面食らうようです。1時間の授業に出される問題は1問だけ、けれども、それが超難問です。これを「意味のわからない問題」と表現した生徒もいます。
あるいは、塾といえば、講師が懇切丁寧に板書して解説してくれるものと思って入ってくる生徒も、びっくりするようです。何しろ、講師が板書することなどありませんから。そもそも、講師が話をすることすらほとんどないのです。それでも、まわりを見ると、先に入塾している生徒たちは、一生懸命に問題に取り組んでいる。仕方がないから、自分も考えてみようとする。
授業が終わった後も、驚きは続きます。解けなかった問題が宿題となるわけではなく、答えや解説も何一つもらえないのです。難しい問題をちょっとやってみて、わからなかったら解答を見て理解する安易な勉強法は、まったく通用しません。
こんなことを繰り返していて、本当に成績が良くなるのか、勉強ができるようになるのか、心配する親の気持ちはよくわかります。けれども、その答えは、続けていれば必ず考える力がつく、としかいいようがありません。これだけは本当なのです。