ターゲットを絞ったマーケティング戦略が功を奏す
日本の伝統的な宿泊業者である旅館業の長期低落傾向に歯止めがかからない。背景には、地域経済の低迷がある。
消費者の変化も大きい。かつて盛んだった宴会目的の団体旅行が激減し、個人旅行が主流になってきた。バブル時に多くの旅館が増設や宴会施設に投資を行ったことから過重債務となっている。
加えて、旅館経営は小規模個人事業主が大半のため、経営手法も時代の変化への対応が遅れた。旅館業の再生は新たな資金投入と運営ノウハウの導入が不可欠になってきたのである。
こうしたなか注目されるのが、リゾート再生事業である。経営破綻した旅館を民間のスポンサーが買い取り、新たな投資を行うことで消費者のニーズにマッチした設備開発や効果的なマーケティング手法の導入。運営方法の大幅な改善などに取り組むことで、旅館の再生につながる事例が出てきたのだ。
その代表例が「リゾート再生の達人」と呼ばれる(株)星野リゾート(星野佳路社長)だ。長野県軽井沢に本拠を持つ同社は1914年に軽井沢に星野温泉旅館を開業した老舗旅館だが、2001年以降、各地で温泉旅館の再生事業に取り組み、数多くの成功事例を生み出している。
皮切りとなったのが、01年のリゾナーレ小渕沢(山梨県)だ。経営破綻した法人会員制リゾートを取得し、再建に乗り出した。
イタリアの建築家マリオ・ベリーニの設計による優れた施設を持ちながら、法人需要の低迷などの外部要因も重なり、十分に活かせなかった反省から、同施設の運営コンセプトを「大人のための子供のリゾート」に大きく転換。
ファミリー層にターゲットを絞ったマーケティング戦略が功を奏し、再生3年目で黒字化を達成した。
東北屈指のスキー場、アルツ磐梯リゾート(福島県)も03年から星野リゾートが経営権を握り、独自の運営手法で再生に着手した。老舗温泉旅館の再生も手がけている。「白銀屋」(石川県山代温泉)や「湯の宿いづみ荘」(静岡県伊東温泉)などだ。
外資系ホテルに倣い、「所有」と「開発」の事業を分離
星野リゾートの再生事業の特徴は「運営」に特化していることだ。一般に旅館経営は、施設の「所有」や「開発」はすべて事業主が行っている(旅館の主人は自分で建物を建て、それを所有し、経営もする)。そこに旅館経営の行き詰まりがあった。そこで外資系ホテルの運営手法にならって切り離すのである。
運営の考え方としては、顧客志向の発想に転換することが第一義となる。現代的なマーケティング手法を取り入れ、利益を生み出すしくみを開発することに集中する。基本的に同社では、総支配人などのキーマンを同社から送り込み、運営の方向付けをしながら、現場は従来の従業員に引き継いでもらうというやり方を採っている。
<マメ知識>
「星のや軽井沢」について
リゾート再生事業に取り組む星野リゾートの本丸が、2005年7月にオープンした「星のや軽井沢」だ。再生の請負人自らが運営するリゾートだけに注目を集めている。
「もう一つの日本」「隔離された集落」といったコンセプトに基づく同リゾートには従来の旅館像とはかけ離れた斬新な取り組みが見られる。
まず、チェックイン・チェックアウト時間を滞在のスタイルに合わせ15時イン・12時アウトと18時イン・15時アウトの2タイプを用意。「瞑想する湯」をコンセプトとした温泉施設「メディテーションバス」の利用時間を15時から翌日11時半までとしている。
画期的なのは、旅館の定番である「1泊朝夕2食付き」をやめ、朝食付きのみの設定としたことだ。宿泊客の食事の自由度を高めたのである。その代わりに24時間ルームサービスを実施している。
こうした取り組みの背景には、綿密な顧客満足度調査がある。宿泊客が旅館で不満を感じていたのは、旅館の都合で固定化していた食事や風呂の時間だった。いま求められているのは「泊食分離」なのである。徹底したマーケティングの賜物だ。
さらにユニークなのは、同リゾートでは客室にテレビを置かないなど、あえて不便とも思える「隔離された集落」のイメージを演出していることだ。快適を追求するあまり失われた非日常性。そこにこそ世界に通じる温泉旅館像がある。