東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸時代、海や川に近いことで栄えた4つの街についてみていきます。
佃島、木場、築地、永代…江戸文化息つぐ「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩⑤】 (※写真はイメージです/PIXTA)

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木場【江東区】…木材の集積地として栄えた

水面に浮かぶ原木
水面に浮かぶ原木

 

木場は江東区の深川地域にある町で、木場公園や木場観音、木場天神などの観光スポットがあり、江戸時代からの歴史と現代的な建築物が混在した街並みが特徴です。近年は再開発が進み、商業施設や住宅が増え、新たな街づくりが進められています。

 

『木場』とは、元来「貯木場(ちょぼくじょう)」または「木材の切り出し場」を指す言葉でしたが、江戸時代から木材の集積地として栄えたことが、木場の名前の由来となったとされています。足場の悪い筏の上で曲芸を行う木場の角乗りは、東京都の無形文化財に指定されており、今も人々に親しまれています。

 

慶長9年(1604)、江戸城本丸の建設が始まった頃は、まだ江戸府内に材木置場がありましたが、寛永18年(1641)の大火の際、幕府は防火のために材木置場を市中から離れた場所に移すことを決め、その地が深川の元木場でした。

 

この元木場の材木商の中から問屋を名乗るものが出てきて、木場材木問屋という名称が起こりました。当初、隅田川には橋がかかっておらず交通の便が悪かったのと、この地の埋め立ての整備が十分でなかったことから、材木問屋の商人たちは元木場に住んでいませんでした。その後、隅田川の架橋と埋立地の整備が進み、次第に材木商たちは住居や店舗をこの地に移し始めましたが、元禄12年(1699)に元木場は幕府に取り上げられたため、猿江(江東区)に移動、しかし、この地も公用地となってしまいます。

 

元禄14年(1701)に幕府が埋め立て補修して払い下げた深川築地場の土地の一部(現在の木場のあたり)を15人の材木問屋の者たちが払い下げを受け、彼ら自身で土地を整備して町屋敷を設け、材木置場を設けました。この地は、元禄16年(1703)に町名を木場町と名付けられ、正徳3年(1713)に町方支配となりました。

 

火事の多かった江戸時代に材木問屋は繁盛しましたが、幕末になるにつれ、この一帯の材木業はさびれてしまいます。その後、江戸が東京へと名を変えても木場は貯木場としてあり続けましたが、江東区南部の埋立地の造成で内陸化したことから、ほとんどの材木業者は埋立地の「新木場」に移転、跡地の一部が木場公園となりました。

 

【木場周辺のおすすめスポット】

◆木場公園

かつて貯木場だった地に出来た都立公園。10月の江東区民祭りでは、木場の伝統芸の「木場の角乗」を見ることができる

◆東京都現代美術館

木場公園内にある、現代美術専門の美術館。現代美術の流れを展望できる常設展示や企画・展示など、ジャンルも幅広く紹介

◆富岡八幡宮

通称「深川八幡宮」ともいい、八月開催の祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つ。江戸勧進相撲発祥の地

◆深川不動堂

真言宗智山派の寺院。千葉の成田山新勝寺の東京別院。門前の参道は通称「人情深川ご利益通り」といい、定期的に縁日が開かれている

 

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