東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸時代、海や川に近いことで栄えた4つの街についてみていきます。
佃島、木場、築地、永代…江戸文化息つぐ「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩⑤】 (※写真はイメージです/PIXTA)

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永代【江東区】…隅田川の河口の小さな島が語源

隅田川、永代公園方面を望む
隅田川、永代公園方面を望む

 

永代は深川地域に属する江東区の町名で、江東区の西部に位置する住宅街です。

 

永代は住宅街として開発されているため多くの住宅が建ち並んでおり、近くには公園やスポーツ施設などもあって、家族連れでのお出かけにも適した場所です。交通の面では東京メトロ東西線の門前仲町駅が最寄りの駅となります。

 

地名の由来は、江戸時代、隅田川の河口にできた砂州の呼称であった永代島です。永代島は富岡八幡宮のあたりから佐賀町(江東区佐賀)にかけての一帯を称しました。

 

明暦元年(1655)、永代島は江戸の町のごみ捨て場に指定され、船で運ばれた江戸のごみが捨てられていました。延宝9年(1681)になると、ごみ捨て場は永代島新田と砂村新田(江東区南砂・東砂・新砂)に改められます。これは、江戸のごみが新田を広げるための埋め立ての材料として利用されたからです。享保15年(1730)、ごみ捨て場は永代島の南、越中島へと移され、埋立地は拡大していきました。こうして、江東沿岸地域では、干潟や入江であった場所が江戸のごみによって新田となっていきました。

 

こうして成立した新田は、ほかの江戸近郊農村とは異なり、江戸市中に近いうえに江戸湾がすぐそばにあって景色がよく、新田の中に武士の抱屋敷(町人や百姓から土地を買って建てた家)が増えていきました。

 

【永代周辺のおすすめスポット】

◆永代橋

淡い水色のカラーリングが特徴。橋の中央から佃のマンション群が一望できる

◆大島川水門

一級河川の隅田川だからこそ見られる景色。高さ8mの堅硬なフォルムは圧巻です

◆渋沢栄一宅跡

新一万円札の肖像画に起用され話題の人物「渋沢栄一」36歳時の本邸跡

◆佐久間象山砲塾跡

兵学者・朱子学者・思想家の佐久間象山が西洋砲術塾を開いた屋敷跡。あの勝海舟も入門していたとのこと

◆永代出世稲荷神社

住宅街のど真ん中、「永代出世」という社号の響きで人気のパワースポット

 

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