侍ジャパンの若い選手たちの憧れダルビッシュ
次にダルに会ったのは、22年の12月上旬でした。WBCの監督会議が、彼が所属するパドレスの地元サンディエゴで行なわれたのです。急いで連絡を取り、会えることになりました。
ダルは数日前にSNSで、WBC出場の意思を示していました。その裏には妻の聖子さんの協力と後押しがあったはずなので、私は聖子さんあての手紙を持参しました。
聖子さんとお子さんも交えた食事会は、とても楽しい時間でした。そこでダルが、「監督、侍ジャパンに僕が参加するのに、最初から合流しないなんてあり得ないですよね。それじゃあ、チームにならないじゃないですか」と言うのです。
その言葉どおりに、彼は2月17日のキャンプイン初日から宮崎に居ました。メジャーリーグで10シーズンにわたってプレーしてきたダルは、侍ジャパンの若い選手たちにとって憧れの存在です。
WBC優勝の象徴“ダルビッシュの雄叫び”
09年のWBC決勝で抑え投手として登板し、優勝を決めたマウンドで雄叫びをあげた姿は、WBCで勝利する日本の象徴的なシーンとして記憶されています。そのダルが、若い選手と積極的にコミュニケーションを取っているのです。
それだけでなく、「それはどういうふうに投げているの?」と、質問までしています。スマートフォンで投球フォームを撮影して、一緒に確認したりもしていました。どの選手の顔にも「楽しい」と書いてあります。初日から充実感に満ちた練習となりました。ダルこそは現場の責任者であり、彼に一任しておけば間違いないと私は確信しました。
宮崎キャンプでのダルは、一切の見返りを求めていませんでした。グラウンド上で多くの選手とコミュニケーションを取り、休日には食事会を開いて交流を深めました。投手陣が集まった食事会は、『宇田川会』と名付けられました。調整に苦しんでいた宇田川を励ますためであり、「自分がチームを勝たせる」という当事者意識を植え付けるためだったのでしょう。
オフの食事会は、野手の選手とも行なわれました。ダルの心配りとしてメディアでも取り上げられましたが、実は宿泊先でも彼のアイディアからコミュニケーションが深まっていきました。
新型コロナウイルス感染症の対策として、大人数での食事は同じ方向に机を並べて黙食、というスタイルが取られてきました。
ここでダルが、「これだと話ができないので、大きな丸テーブルをいくつか置くように変えられませんか」と聞いてきたのです。基本的な感染症対策を続けつつ、食事中も野球の話ができる環境を作ると、やはりコミュニケーションが活発になりました。
宮崎キャンプを終えて、京セラドームでの強化試合に臨んだ際にも、ダルの気配りを目の当たりにします。京セラドームはオリックスの本拠地で、所属選手のグッズが売られています。そこで、チームマネジャーに頼んで宇田川のキーホルダーを買ってきてもらい、写真付きでツイッターに投稿しているんです。
親愛なるダル!このチームになぜあなたが必要なのかを、様々な場面で説明させてもらいました。宮崎キャンプでは初日から一切の壁を作らず、若い選手たちのなかへ飛び込み、伝えるべきことをしっかりと浸透させつつ、10歳以上も年齢が下の選手に質問をして、新たな感覚や思考に触れ、自分の進化の糧にしていく姿勢を見せてもらいました。
宮崎キャンプの初日から決勝戦を終えたあの夜まで、感謝の思いを胸いっぱいに抱えて君を見ていました。報われることを一切求めず、無私の心でチームに尽くしてくれたその姿は、人間としての魅力に溢れていました。