「点呼+清掃」とかいう呪われたハッピーセット
当時の新入生の学生生活は「人員点呼」「清掃」「容儀点検」「一斉喫食」などのさまざまなストレスフルなイベントによって構成されており、1日を乗り越えるためには頭をフル回転させて乗り越える必要がありました。
それでは新入生を鍛えるイベントについて、いくつか紹介していきましょう。
人員点呼はハラハラドキドキ
人員点呼とは現在の人員を確認するために行います。学生の人数・体調状態を確認し、異常の有無を確認します。これだけ聞くと「大したことないじゃないか」と思われるかもしれませんが、1学年は「点呼」と聞くと心拍数が跳ね上がります。
人員点呼は4列横隊で行いますが、1学年が最前列になり、その後ろに2〜4学年が並びます。上級生は後ろから1学年の一挙手一投足を見ており、少しでも不備(帽子が曲がっている、靴紐が出ているなど)があると、指摘をしてきます。また、点呼に並ぶのが遅いと「お前はいつも遅い!」などの小言をもらうため、1学年は誰よりも早く疾風のように走り、点呼の列に並ぶ必要があります。
人員点呼は日朝点呼と日夕点呼の2回行いますが、それぞれ趣が違います。
日朝点呼は「寝起きすぐ」に実施!低血圧は生き残れない
まず、日朝点呼ですが「寝起きすぐ」に実施されるのが特徴です。防大生の朝は早く、0600には起床します(防大や自衛隊では「:」なしで時刻を表記します)。寝坊する学生は1人もいません。理由は、朝になると「起床ラッパ」で強制的に叩き起こされるからです。ラジカセから山下達郎のヒットソングがかかって、かわいい彼女が「今日はいい天気だよ」とトーストとコーヒーを持ってきてくれることは決してありません。
もし早起きをしても「起床ラッパが鳴るまでは行動してはいけない」というルールがあるため、目が覚めてもベッドの中で待機をします。新入生にとっては朝が最も憂鬱であり、「また1日が始まるのか…」とブルーな気持ちになります。
そして、朝の起床ラッパが鳴った瞬間にベッドから飛び起き、「おはようございます!!」と窓やドアを開け、絶叫します。その後に毛布とシーツを畳み、上半身裸でタオル1枚を持って隊舎の前に5分以内に整列します。この集合が遅いと、上級生から「遅いぞ!! 何やってんだ!」と怒号が飛ぶので、1学年は己の全てをかけて走ります。あまりの必死さにこけることもありますが、アドレナリンが全開になっているので痛みはあまり感じません。
整列をすると号令調整(※注)をしながら、乾布摩擦を行います。特に真冬は寒く、東京湾から吹き荒ぶ風が身体を冷やすため、目にも止まらぬ高速で身体をスクラッチし、寒さをしのぎます。点呼は人数が揃うと点呼報告・解散となりますが、解散するときには「1学年を残し解散!」とほぼ確実に言われ、お小言と腕立て伏せが始まります。
1学年にはもはや「眠い」というアンニュイで気だるい感情はなく、生きるか死ぬかのサバイバルモードに切り替わっています。
そして、清掃という新しい戦場に飛び込んでいきます。
※注 「前へ進め」や「右向け右」などの号令を練習すること。1学年は死ぬ気でやるが、上級生はやる気がない。
水場の掃除は「水滴を残してはいけない」ベリーハードモード
防大においての清掃は、まさにエクストリームスポーツ。肉体と頭脳をオーバークロックし、命の輝きを放ちながら校内を綺麗にします。清掃は日朝点呼の後と日夕点呼の前に1学年が主体で行います。精神的な負荷が大きい「点呼+清掃」は素敵なコンビメニューであり、呪われたハッピーセットとも言えます。
清掃は2学年を長、1学年が清掃員として、洗面台・トイレ・乾燥室・廊下などの学生舎の生活施設を3日おきにローテーションしながら清掃して綺麗にします。
当時の防大には「清掃は訓練」のような思考があり、手順を覚えて正確にこなす修練としての意味合いがありました。このスキルがあれば機材の運用などにも活用できるという考えがあったようです。
清掃の手順としては、「拭き掃除はホコリを意識して上から下にやる」や「洗面台は奥から順番にやっていく」などがありますが、手順通りゆっくりやると「遅い!」と言われ、スピードを求めると「その手順は違うだろ!」と指導されます。
あまりにミスが多いと、2学年に「もうやらなくてよい」とホウキを取られ、ホウキを取られた新入生は「清掃をさせてください!」と絶叫し、2学年からホウキを取り戻そうとします(ジブリのワンシーンみたいで微笑ましいですね)。清掃の時間中は、この押し問答が至るところで発生するため、もはや防大の風物詩と言っても過言ではありません。
清掃の手順については、清掃場所ごとに「清掃の申し送りノート」と言われる、学生が作成した秘伝の書があり、そこに手書きのイラストや説明付きで攻略本のように解説されています。この申し送りノートには「指摘されたこと」というコーナーも存在し、「拭き方を間違えた」や「作業服の着こなしを注意された」などのチョンボミスが長々と反省とともに書かれており、ドラクエのセーブデータである「冒険の書」のような趣さえあります。
特に洗面台・トイレ・洗濯室・シャワー室などの水場は「水滴を残してはいけない」というベリーハードモードであり、1学年からは「水場は鬼門」と恐れられていました。
清掃に関して、1学年はゲームオーバーを繰り返すことによって2倍速のスピードを獲得し、小学生の手から必死に逃げるバッタのような速さで雑巾がけができるようになります。限界を超えた雑巾がけで、1学年の作業服ズボンの膝部分はいつもボロボロと皆様にお伝えしておきましょう。
間に合え!入浴5分⇒食事5分⇒ダッシュで向かう「日夕点呼」
日夕点呼は校友会の活動が終わり、入浴・食事・清掃などを済ませた後に行われます。ただ、校友会が終わるのが1800前後であり、点呼の集合が1920であるため、時間的にはかなりタイトです。さらに、1学年はこの時間帯にプレス・ベッドメイキング・報告書作成などのイベントも行うため、とにかく時間がなく、ミッションインポッシブルのようなスピード感が求められます。
入浴5分、食事5分、校内の移動はダッシュで走り抜けます(常にBボタンから指は離せません)。防大には「時間は自分で作るもの」という教えがあり、1分1秒を愛おしく感じながら点呼までの時間を過ごしていきます。
この生活を極めると、「アイロンが温まる間にベッドメイキングをする」という技すらあります。これは「アイロンが温まる時間さえもったいない」という防大生活の特徴をよく表した行動です。
日夕点呼の前には清掃がありますが、2学年のテンションが朝よりも高いため、指導が厳しいことが多いです。あちらこちらで「清掃をやらせてください!」という1学年の魂の声が響き渡り、学生舎というダンスフロアが熱気を帯びていきます。
清掃が終了すると廊下の掃き掃除を行い、2学年が「清掃終わり! 点呼準備!」と大声を上げた瞬間に清掃を撤収し、自分の寝室に飛び込みます。日夕点呼には「プレスされた作業服で集合する」というルールがあるので、清掃が終了した後に一度自室に戻って着替える必要があるからです。
60秒で支度しな…飛ばされたベッドを直して、1分で着替える
自室に戻ると、99%の確率でベッドが飛ばされています。マットレスがひっくり返り、シーツは剥がされ、枕は行方不明になっています。これは「ベッドメイキングが汚い」という指導であり、部屋のどこかに飛んでいった自分の枕を探し、毛布やシーツを1分で直し、1分でプレスされた作業服に着替えます。
着替えるときのポイントは、「できるだけ早く」「服にシワをつけない」などがあり、背中の布を張るためにイナバウアーのように背中を反ります。その間も上級生がジブリのキャラのように「ホラ、チンタラするんじゃないよ」「あと10秒だけ待ってやる」と煽ってきますが、努めて平常心でいることが大切です。
着替えが済んだ後は、作業服の着こなしを崩さないようにペンギンのように直立不動で小走りし、学生舎の中隊ホールに4列横隊で集合します。自分の後ろからは猛獣たちの息遣いを感じるため、1学年は点呼中に生きた心地がしません。
点呼が終了すると「1学年を残して解散!」と言われ、1学年のチョンボミス発表会、そして反省の腕立て伏せが始まります。
腕立て伏せが終わると、ようやく点呼解散になります。
解散をする頃には1学年の作業服は汗で湿り、身体からは酸っぱいスメルが漂います。これを「お風呂リセット」と私は呼んでいました。もう一度風呂に入る、シャワーを浴びるなどの選択肢がなく、とりあえず上着を脱いでファブリーズをし、乾くのを待つしかありません。湿った作業服とお友達になれるかどうか、それが防大生の大切なポイントでしょう。
ぱやぱやくん
防衛大学校卒の元陸上自衛官。退職後は会社員を経て、現在はエッセイストとして活躍中。名前の由来は、自衛隊時代に教官からよく言われた「お前らはいつもぱやぱやして!」という叱咤激励に由来する。著書に『今日も小原台で叫んでいます 残されたジャングル、防衛大学校』『陸上自衛隊ますらお日記』(どちらもKADOKAWA)などがある。