そもそも「キャリア」とはなにか
ビジネスパーソンである以上、常にキャリアアップを図るべきだという風潮が巷には浸透していますが、いったん立ち止まって、「そもそもキャリアとはなにか」という問題について考えてみたいと思います。
英語の「career」を辞書で調べれば、職歴、経歴、履歴、成功、出世、疾走などという言葉がみつかります。言葉の意味合い自体は難解なものではありません。
しかし、このキャリアという言葉には「こうあるべき」とか「こうでなければならない」という拘束・強制するようなニュアンスは含まれません。人それぞれ、十人十色で、すべてのビジネスパーソンに固有のものと考えた方がよさそうです。
原点に立ち返って深く考えたとき、キャリアには正解がありません。
言い換えれば自分自身が納得し、充実していたり幸福を感じたりしていれば、他人の評価を気にする必要はないのです。しかしながら、キャリアを推し量る客観的な事実や数値に悩まされることは多々あります。
一例を挙げると、肩書や年収への評価、このあたりが自分のキャリアを見定めることを難しくしているケースは多いでしょう。他人との比較で一喜一憂する羽目になっている場合もあるはずです。自分のキャリアに対する評価を自分自身で難しくしてしまっている人も少なくありません。
キャリアの評価は、他人とはなかなか単純比較できないものです。
万単位の従業員を擁する会社と、生まれたばかりのスタートアップ企業では、肩書が持つ意味合いが異なるためです。組織の陣容が違うわけですから、仮に似たタイプの会社であっても比較はできません。権限の行使にも違いがあるはずです。
そして年収についても、従事している業界や業種によってもともとの基準値が違いがあります。
例えば、非常にハイリスク・ハイリターンである外資系金融機関などは高年収な仕事の代表格です。そのなかでも特殊な職種の難しい領域で仕事を成就すれば、数千万円から数億円のインセンティブを受け取れる可能性を秘めています。ただ、一定期間で業績を挙げられなければ、ある日出社した途端に解雇を通告され、昼までに会社を退出するように指示されるなど、日本では考えられない状況にも出会うわけです。
こうした信賞必罰の大きな業種もありながら、逆に年収の額面はゆるやかに見えても伝統的な各種手当(住宅手当・家族手当など)が手厚い会社もあります。額面だけを見ればそう大きな金額ではないにしても、可処分所得を計算してみると、平均所得を大幅に超えているケースがあります。加えて労働組合の力が強く、よほどのことがなければ降格やレイオフがない、従業員を手厚く保護することを伝統とする業種や業態も存在しています。
したがって、いくら年収や肩書を他人と比較しても、適切なキャリアの評価はできないということです。