「何のために働いているのだろう?」若者が抱く人生への違和感、原因は“平成初期の成功モデル”にあり!?

「何のために働いているのだろう?」若者が抱く人生への違和感、原因は“平成初期の成功モデル”にあり!?
(画像はイメージです/PIXTA)

※本記事は、有限会社e.K.コンサルタント代表取締役・森康彰氏の『地方で働き、地方で生きるという選択』(幻冬舎メディアコンサルティング)より抜粋・再編集したものです。

都会で働くことは幸せなのか?

コロナ禍で社会全体が一度立ち止まり、個人の働き方や生き方も急激に変化したことで、改めて自分を見つめなおしたり、思い悩んだりする時間が増えた人は多いのではないでしょうか。

 

都会の一人暮らしであれば、ワンルームマンションでリモートワークを続け、食事はウーバーイーツなどの宅配ばかり。たまのオンライン飲み会で気を紛らわせることはあっても、職場の人と会って話す機会はほとんどない……。そんな日常を過ごしている人も少なくはないでしょう。そのような生活が長い間続いていれば、「いったい何のために働いているのだろうか?」と、いまの仕事や将来の生き方などへの根源的な疑問が生じてきたとしても、不思議ではありません。

 

毎月、給料は振り込まれても、仲間と飲み歩くことや旅行に行くこともはばかられ、思うように消費ができない日々に「お金があってもちっとも豊かな感じがしない。豊かさって、何なのだろう?」と感じられることもあるかもしれません。こうした不安や疑問に対して「どこかに手応えを感じられる仕事、豊かな人生を送れる場所がないだろうか?」と答えを求める人たちが増えています。

 

そこでその一つの答えとして、本書で提案したいのが「地方で働き、地方で生きる」ことです。地方の企業で働くことはベンチャー企業で働くことと似ています。限られた資金と人材のなかで、大手上場企業のような整備された職場環境があるわけでもなく、何でも自分で考え、立ち上げていくような働き方が必要です。

 

その分、自分の裁量でやれる仕事は多くあり、小さな仕事や事業を大きく育てていくやりがいも感じられます。またそもそもどのポジションにも人材が不足しているため採用についても学歴やスキル、これまでの経験よりも人柄や意欲が重視されます。いわゆる「Fラン大学」と呼ばれるような学校を卒業し、学歴重視のために都会では軽く見られてしまうような人でも少しでも光るところがあれば非常に歓迎されるのです。

 

もちろん、いま都会の会社で十分に評価されて、手応えのある仕事ができていると思われる人は幸せなことであり、そのままそこでがんばるのがよいでしょう。しかし、どこか足りないものがある、自分の努力ではそれが埋められない、ここが自分のいるべき場所ではない、といった感覚を持ち続けている人なら、地方に目を向けてみることで、人生の可能性が広がるかもしれません。

 

そして最後にもう一つ、私が地方を勧める理由を挙げます。それは地方で働き、暮らすことは、家族や大切な人との時間を大切にできることです。通勤時間は短く、広い住宅を安価で手に入れることもできます。都会の生活で何か足りないと感じている人には、そういう生活を自分も選択できることをぜひ知ってください。この本が、あなたにとって新たな人生を選ぶためのきっかけとなることを祈ります。

若者が抱く“違和感”

今、自分の居場所や働き方、人生のあり方について違和感を抱く若者が増えています。

 

「自分では一生懸命働いているつもりなのにちっとも豊かになれない。時間に追われるだけの毎日で仕事をしても充実感がない」

 

「給料は少ないのに、プライベートの時間ももてない」

 

「会社にも、その他のところにも、目標にできるような人がいない。上司や先輩を見ても、ちっとも幸せそうじゃないし、自分もああなるのかなと思うと暗い気持ちになる」

 

そう感じたことのある人もいるはずです。

 

私自身はもう若者と呼べるような年齢ではありませんが、その気持ちはとてもよく分かります。なぜなら私自身がかつて、大学に入学後も卒業して会社に入ったあともそういった違和感が常に身近にあったからです。

 

なぜこのような違和感が生まれるのか。もちろんさまざまな理由がありますが、私が考えるいちばん大きな理由は世の中の流れは大きく変わっているのに皆「古い成功モデル」にまだとらわれているのではないかということです。古い成功モデルとは、昭和や平成初期によくいわれた「東京の一流大学を卒業して、有名会社に入り、一生安定して働く」というものです。

東京で働くことに憧れを抱かせた古い成功モデル

平成初期に多くの人はこの成功モデルを目指していました。実際に一流会社に入れる人は少なかったでしょうが、それでも多くの人は幸せを実感していたように思います。私自身も子どもの頃、岡山の実家でバブル景気に浮かれる楽しそうな東京のサラリーマンの姿をテレビで見て「自分も大人になったらああいうふうになりたい。いつか東京の大学を出て、東京の有名会社に入りたい」と憧れたものです。

 

俳優・コメディアンの植木等さんが映画『ニッポン無責任時代』で歌った“サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ”や、高田純次さんの“五時から男”といった歌詞や流行語を半ば呆れながらも、多くの人々と同様に有名企業に就職しさえすれば “アフター5”を楽しみながら会社生活を全うし、それなりの豊かさを享受できるんだと信じて疑いませんでした。また当時のテレビの恋愛ドラマといえば、ほぼ東京の高層オフィス街で働く若い男女という設定でした。当時の若い人たちはそれを見ていっそう都会での暮らしを夢見たわけです。

理想と現実とのギャップ

2017年に経済産業省の若手官僚がまとめた文書「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜」によると、「正社員として就職し、定年まで勤め上げる」という働き方を実践していたのは、1950年代生まれの男性でも34%でした。

 

さらにこのなかで一流大学を卒業して有名企業に入社し、定年まで勤め上げた人となるとほんの一握りだったはずです。いい換えれば古い成功モデルは理想どころか幻想に過ぎなかったわけです。それでもなお一生懸命頑張ればなんとかなるかもしれない、努力を積み重ねた先に豊かな人生が待っていると高度成長期からバブル時代の若者たちの多くがこうした希望を抱いていました。

 

しかし令和の時代を生きる人のなかに、こうした古い成功モデルにリアリティを感じる人はほとんどいないはずです。周囲を見渡せば一目瞭然だと思います。コロナ禍という特殊な事情は別としても“アフター5”を夜な夜な謳歌しているビジネスパーソンは明らかに減っています。

 

一流大学を卒業して有名企業に入社したものの、毎月の赤字をボーナスで補填し食いつなぎながら生きながらえて家族を養っていくことで精一杯だという人はごく当たり前になりつつあります。あるいは、正社員になることさえ苦労している人だって結構いるはずです。ゆったりとした時間の流れを感じながらいわゆる丁寧な暮らし、ゆとりのある生活を楽しむことができる人が少数派になってきています。

 

古い成功モデルが理想に過ぎず、現実的ではないのかもしれないという疑問が人々の間に広まっています。一流大学を卒業しようが、有名企業に入社しようが豊かな人生を歩むことができるとは限らないという不安が将来のビジョンを描く妨げになります。それにもかかわらず別の価値観が提示されているわけでもなく、相変わらず古い成功モデルが幅を利かせています。

 

古い成功モデルの価値が失われつつあるなかでも子どもの中学受験のために親は年間数百万円をかけて小学生の頃から有名学習塾に通わせたり、子どもも就職活動となれば有名企業に入社するために何十通、何百通とエントリーシートを書きまくったりといった状況が続いているのです。こうした現実のなかでもなお幻想を追い続けることのズレが、私の考える現代を生きる人たちへの違和感の根源となっています。

 

森 康彰

有限会社e.K.コンサルタント 代表取締役

地方で働き、地方で生きるという選択

地方で働き、地方で生きるという選択

森 康彰

幻冬舎メディアコンサルティング

経済的にも精神的にも豊かな暮らしは“地方"でこそ手に入る! 移住・就職・独立起業―― 新しい一歩を踏み出すための地方生活のすすめ 東京の一流大学を卒業し、大都会にある有名な会社で一生安定して働く―― 今までも…

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