夫の生前、さんざん援助をねだった長男
今回の相談者は、74歳の田中さんです。もうじき後期高齢者になることから、自分の相続について相談したいということで、筆者のもとを訪れました。
田中さんは5年前に会社員だった夫を亡くし、いまはひとり暮らしです。夫は中堅企業の役員で、還暦を過ぎても精力的に働いていました。健康にも大きな問題はなかったそうですが、ある冬の朝、仕事に向かう途中で倒れ、そのまま亡くなってしまったのです。
田中さんには2人の子どもがいますが、それぞれ結婚して家を出ています。
「私ひとりなら、夫が残してくれたマンションに住み、遺族年金と貯金で十分暮らしていけます。問題なのは、長男のことです」
長男は大学卒業後、何度となく転職を繰り返したあと、起業しました。しばらくは順調だったものの、ほどなくして資金繰りに困るようになり、父親へ借金を繰り返すようになりました。
「長男は口が達者で、新しいビジネスについて大風呂敷を広げては、そのたびに夫からお金を引き出していました。ですが、毎回結果が伴わなくて…。夫も息子がかわいいのか、厳しいことをいいつつも、最終的にはお金を出してやっていたんです」
ところが、父親から多大な援助を受けながら、ついに息子の会社は倒産。これまで借りたお金を返せる見込みはなさそうです。
「もううんざりです。息子に継がせる財産など、1円だってありません」
田中さんはため息をつきました。
「それに引き換え、嫁いだ娘には、これまで何もしてやれていません。そのため、残りの財産はすべて娘に渡したいと考えています。いい方法はないでしょうか?」
長女に全財産を渡すには、遺言書の作成が不可欠
田中さんの資産は、夫から相続した区分マンション4000万円と預貯金4000万円の、合計8000万円です。夫の遺産は、すべて田中さんが相続しました。
生前の父親に多額の金銭援助を受けてきた長男は、さすがに「母親の相続時にはなにもいらない」といってはいますが、田中さんは、口約束だけでは不安だといいます。
長女は長女で、兄である長男の態度を見て「父親が汗水たらして働いたお金を、自己満足のようなビジネスのために浪費してきたのは許せない」といっており、このままでは感情的な争いになる可能性が高そうです。
また田中さんは、長男がいらないといっていても、長男の嫁が納得しない場合もありうると考えており、何らかの対策を取りたいと思っています。
以上のことから、筆者と提携先の司法書士は、遺言書の作成を提案しました。
「財産はいらない」といっている長男も、母亡きあとに心変わりするかもしれません。もしそのときに遺言書がなければ、権利を主張されることで、法定相続分を渡すことになる可能性もあります。また、それだけでなく、分割協議で揉める可能性もあるでしょう。
そのことからも、長女に全財産を相続させるには、遺言書が必須となるのです。さらに、長男に遺留分放棄の手続きをしてもらえば(裁判所「遺留分放棄の許可」参照)、確実なものとなります。
その後田中さんは、下記のような内容で、公正証書遺言を作成しました。
遺 言 書
遺言者 田中陽子は下記のとおり遺言する。
第1条 遺言者は遺言者の有する下記の不動産を含む全財産を、遺言者の長女春香に相続させる。
【区分所有建物】
(一棟の建物の表示)
所在 東京都江東区〇〇
建物の名称 〇〇〇〇
構造 鉄筋コンクリート造睦屋根7階建
(専有部分の建物の表示)
家屋番号 〇〇〇〇
建物の名称 〇〇〇号 (土地部分省略)
第2条 遺言者は、長女春香が遺言者の死亡以前に死亡(同時死亡を含む)したときは、前条の財産を、長女春香の長男・翔太(平成〇年〇月〇日生。以下「孫翔太」という)及び長女春香の二男・健太(平成〇年〇月〇日生)に等分の割合で相続させる。
第3条 遺言者は本遺言第1条の遺言執行者として長女春香を、第2条の遺言執行者として孫翔太をそれぞれ指定する。
1 遺言執行者は、不動産の名義変更、預貯金の解約・払戻し等、本遺言を執行するために必要な一切の権限を有する。
第4条 遺言者は、祖先の祭祀を主宰すべき者として、長女春香を指定する。
付言事項
長男弘樹へ
いままでに渡した分を相続の前渡しとして納得してください。
親とすれば十二分にしてきたと思っています。
これからは妹を助けてくれることを期待します。
長女春香へ
兄に対する気持ちを忘れないでください。
独り暮らしで不自由なところを支えてくれて感謝しています。
※登場人物は仮名です。プライバシーに配慮し、実際の相談内容と変えている部分があります。
曽根 惠子
株式会社夢相続代表取締役
公認不動産コンサルティングマスター
相続対策専門士
◆相続対策専門士とは?◆
公益財団法人 不動産流通推進センター(旧 不動産流通近代化センター、retpc.jp) 認定資格。国土交通大臣の登録を受け、不動産コンサルティングを円滑に行うために必要な知識及び技能に関する試験に合格し、宅建取引士・不動産鑑定士・一級建築士の資格を有する者が「公認 不動産コンサルティングマスター」と認定され、そのなかから相続に関する専門コースを修了したものが「相続対策専門士」として認定されます。相続対策専門士は、顧客のニーズを把握し、ワンストップで解決に導くための提案を行います。なお、資格は1年ごとの更新制で、業務を通じて更新要件を満たす必要があります。
「相続対策専門士」は問題解決の窓口となり、弁護士、税理士の業務につなげていく役割であり、業法に抵触する職務を担当することはありません。