エルザ先生との出会い
ドラッカーは子どもの頃から神童ぶりを発揮し、小学校は1年前倒しの飛び級で卒業しています。しかし、その優秀な成績からは想像がつかないほど、書く文字は読みにくい悪筆でした。
このことをドラッカーの両親は「悪筆が息子の人生の可能性を狭めてしまう」と考えたのです。そこで、通っていた公立の小学校から、厳しい指導で有名な私立の小学校に4年に進級するタイミングでドラッカーを転校させました。
この転校が、のちの自己目標管理のアイデアのベースのひとつになったのです。新たな担任となった校長でもあるエルザ先生との出会いは、ドラッカーにとって目標をもって取り組むことの大切さを知るきっかけとなりました。
しかし残念ながら、両親が期待した悪筆問題の解決には、エルザ先生は貢献できずじまいとなりました。ちなみに、ドラッカーの悪筆は生涯改善されることはなく、担当編集者泣かせの文字の読みにくさは出版業界の語り草です。
エルザ先生は、ドラッカーの神童ぶりをすぐに見抜き、その能力をさらに伸ばすために独特の指導をしました。
ドラッカーに毎週1週間分の学習計画と学習目標を書かせたのです。そして、週末にその結果について自己評価させ、計画の実行に対する責任意識を身につけさせました。
また、ドラッカーの文才にいち早く気づき、テーマはドラッカーに自由に決めさせた上で、週2本の作文を課しました。エルザ先生との出会いがなければ、文筆家ドラッカーの誕生はなかったのではないでしょうか。
このエルザ先生の指導方法こそ、のちの自己目標管理の考え方のベースとなったと感じます。とりわけ、自ら目標を立て、結果についても自ら評価するという進め方は、まさに、自己目標管理の本質部分である自己管理そのものです。
また、毎回、作文のテーマを自分で決めさせる手法も自己目標管理の考え方につながると理解できます。
ドラッカー自身も、エルザ先生は自己目標管理の先駆者だったと自伝の中で書いています。
小学校を1年飛び級で卒業後、ドラッカーは中高一貫教育のギムナジウムに進学しました。エルザ先生という素晴らしい教師を得て楽しかった小学校時代の反動からか、ギムナジウムの教師に対しては、ドラッカーはあまり魅力を感じませんでした。
授業の多くがつまらなく、机の中に隠しながら歴史や文学の本を読んでいました。その結果、成績がガタ落ちとなり留年を心配されるほどでした。
しかし、それでも大事な場面では、小学校時代のエルザ先生の学習帳を参考にして目標を立てて数週間取り組むと、学年末の試験は上位30%に入っていました。
すでにこのとき、ドラッカーは自己目標管理の実践者であったといえるかもしれません。