「時代遅れの社会的慣習」がテーマとなった背景
アン・リーが台湾人であるというのも面白いところです。
彼は台湾時代に『恋人たちの食卓』(1994)という映画を撮っていて、それは儒教の美徳である「孝」という価値観に対する批判でもありました。
台湾では、(姉妹の中で)一番最後まで嫁に行き遅れた娘は結婚せずに、独身のままで親の面倒を見なければならないという、実に特殊な慣習があり、彼は映画の中でそれを批判的に取り上げました。
時代遅れの社会的慣習が人々の人生に大きな影響を及ぼしているという点で、2つの映画は共通しています。
ハリウッドがアン・リーのような外国人監督を招き入れ、「アメリカ映画」の制作へと取り込む能力は、意図しているかどうかを問わず、アメリカ文化の持つパワーの一部であると思うのです。
また、あの映画が保守派を動揺させたのには、美学的な側面があります。
アン・リーはカウボーイを主人公に選びました。カウボーイは、伝統的にアメリカの「男らしさ」のシンボルです。その一方で、彼は西部の荒野を社会的慣習からの解放として描いてもいるのです。
主人公の2人は、社会の中では同性愛に対する不寛容という抑圧を受けます。そこから逃れられるのは、ブロークバック・マウンテンの自然しかありません。
だから彼らは一緒にキャンプや釣りに出かけるのです。ワイオミングというアメリカの大自然を、山脈や美しく開けた土地や景色などによって、社会的な慣習や抑圧からの解放、つまりリベラルな価値観と一致するように再解釈しているのです。
そのことは保守派の人たちを憤慨させました。なぜなら、ワイオミング州の風景、牧場、カウボーイなどは、保守派が伝統的に自分たちのものだと感じていたものだからです。
その象徴を、彼はリベラルな主張として完全に変容させてしまった。だからこそ、この映画は破壊的なまでのインパクトを与えたのです。
アメリカの保守派は、同性婚の議論に勝てると思っていたのに、結局はその議論に負けました。そして、保守派の解釈では、彼らが論破されたのは、水面下で文化が変化したからでした。
保守派が近年になって文化戦争を激化させている理由の一つは、リベラル派にハリウッドを支配させたのは間違いだったと考え始めているからなのです。