誤解されている米国司法…「とんでもない裁判」の背景
もはや日本と日本企業にとって米国司法を研究することは必須と思われますが、日本では米国司法が大きく誤解されている面は否定できません。
法についてのシステムも根本にある考え方も大きく異なるため、日本人から見れば米国司法は不可解、理不尽に見えるようです。たとえばマクドナルド・コーヒー事件を耳にした方は多いと思います。
マクドナルドのドライブスルーで購入したコーヒーをこぼしてやけどを負い、同社から懲罰的損害賠償を含め300万ドル(3億9000万円・ドル対円の換算率を便宜的に1ドル130円で計算)近くの賠償の陪審員評決を勝ち取った女性の事例です。日本では「訴訟大国・米国のとんでもない事例」として語られているようですが、私の見方は全く違います。
この事例は、米国が築いてきた「不法行為を防止するためのシステム」がうまく働いたまぎれもない成功例です。
裁判では、マクドナルドが消費者の危険を度外視し売上アップのためにコーヒーを高温にし(マクドナルド社はコンサルタントなどから、コーヒーを高温に保つことで、コーヒーの風味を引き出すことができるとアドバイスを受けこれを採り入れていた)、十分な注意書きもなかったため、過去に同じような事故が多数起きていることが明らかになりました。
根本的な対策をとらず、わずかな額を被害者に支払い和解で解決していたのです。訴訟後、同社はコーヒーの温度を下げ、カップに注意書きをそえるなどの対策を採るようになりました。
それは同業者にも広がりました。それにより将来起こりうる同様の事故から何百、何千という被害者が救われたのです。
日本にはない「懲罰的損害賠償」の仕組みが、大企業の行いをただす上で大きな効果を発揮したのです。一人の市民によって社会全体が改善されたといっても良いでしょう。
これはほんの一例です。日本企業が巻き込まれた米国の訴訟に限っても枚挙に暇はありません。
薬や自動車でPL訴訟が起こされた日本企業は、何千億円もの和解金の支払を余儀なくされました。幹部がセクハラで訴えられ、メディアからの攻勢も受けつつ、これもまた多額の支払いを余儀なくされた例があります。