(※写真はイメージです/PIXTA)

コンサルタントである松本繁治氏の著書『壊れたニッポンを治す為の21の処方箋』より一部を抜粋・再編集し、日本人が持つべき「武士道精神」と「歴史観、国家観、民族意識」について見ていきます。

一度決めた事を変えられない国民性

日本人は「一度決めたから……」の言葉に弱い。

 

何かを始める時に、何等かの方針やルールを決める。そして実際に始めてみると、最初に決めた方針やルールに問題がある事に気付く。しかし、その方針やルールを変えたいと申し出ても、「一度決めたから、このままで進めたい」と返ってくる。この様なやり取りを経験した人は多いだろう。

 

その結果、大変やり難い仕事になったり、最後は失敗に終わるケースが多々ある。臨機応変に対応し、不都合が見つかれば変えれば良いのだが、それができないのが日本人である。“改善・改革” の様な大きな変更でもないのに、チョットした事柄でも一度決めたら変えられない。コロナ禍での対応は、正にこれに見える。この国民性は是非とも変えたい。

理念や哲学の欠如

毅然とした態度を取れない理由に、理念や哲学の欠如が考えられる。新渡戸稲造が『武士道』を書いた理由だが、アメリカ人から見て、宗教心が薄い日本人が何故高貴で犯罪も少なく、愛国心に満ちているのかが不思議であった。その理由を新渡戸稲造に尋ねた所、この『武士道』と云う本を書いたと云われている。

 

キリスト教の文化圏では、宗教が無ければ人間が堕落してしまうと考えられている。間違った事をした事を自覚すると、神に許しを乞い、その結果間違いをしない様な努力を行っており、宗教無しにモラルを維持できないと考えられている。

 

欧米人はこの“宗教”または“武士道精神”を持つ事によって理念や哲学が醸成されていたのだが、日本人がその武士道精神を失うにつれて、理念や哲学も段々無くしていったのではないだろうか。

 

企業活動にも同じ事が云える。1980年代までは欧米企業に追いつけ追い越せの時代で、目標が明確であり、イケイケドンドンで何とか成長できた。しかし1980年代後半にほぼ欧米諸国に追いつき、バブル崩壊も相まって企業の存在目的・意義を見失ってしまい、各企業が成長を続けるために企業の理念や哲学を模索し始めた。何のために企業が存在するのかを定義しないと、会社を方向付ける事ができなくなってきたのである。

 

今では、このしっかりとした共感できる理念や哲学の無い企業は日本では生き残れなくなっている。しかし個人レベルではこの武士道精神を失ったままで、悪くなる一方である。そしてほんわかとした“調和”の世の中だった所に“非難やクレーム”が入り込んできて、より一層悪くなっている。

 

国民全員が理念や哲学を持つ必要はないが、少なくとも国を導くリーダー達は、この理念や哲学を持っていないと国の行く末は危ない。

次ページ「歴史観、国家観、民族意識」が欠如していると…

※本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『壊れたニッポンを治す為の21の処方箋』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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