「血液検査が基準値内なら安心」と油断してはいけない
ところで先の基準値ですが、いったいどういう意味なのでしょう。この範囲内にあれば問題ないのでしょうか?
実は30年ほど前まで、基準値ではなく「正常値」と表記されていました。しかし検査値にはけっこうな個人差があるので、一概にこの範囲内なら正常とは言いがたく、それは言い過ぎだという判断のようです。
それに基準値の範囲とは検査会社によってけっこう異なります。ですから同じ血液を計測しても、A社ではA判定なのに、B社ではB判定になるときもあります。
これは検査機器や試薬により値は多少前後するので、一部の例外を除き、その検査会社が社員数十人を被検者として独自に設定するからです。
もちろんその社員が全員すごく健康というわけではないでしょうが、それを基準にしていることを知っておく必要があります。したがって数値が基準値に入っているから安心というわけではなく、診断する側は他の検査値や問診を参考にして不自然な点を推理する洞察力がとても重要になります。
ここは将来的にもAIには絶対に任せられない医師・歯科医師の重要な仕事だと思うのですが、どうも世の中はそれとは違うほうに向かっているように思えます。
ちなみにアメリカでは基準値のところをReference Rangeと表記します。直訳すると「参照(または参考)の範囲」という意味ですので、日本の「基準値」よりも正確な意味ではないかと思います。
もちろんこちらも正常とは言っておらず、あくまで参考にしてくださいという意味に留まっています。人の体は機械ではないので、デジタルな判断はできないということです。
「安くて、腐らなくて、美味しい食材」に疑問を持とう
今私はこの原稿を診療開始前の朝のカフェで書いているのですが、周囲を見渡すと、おそらくこれが朝食なのだろうという人がたくさんおられます。
私は朝食を摂った後ですが、皆さんはスマホ片手に、オシャレなサンドイッチやスイーツを、コーヒーで胃に流し込んでいます。そう、カフェやファストフード店を使えば、朝食を作る手間は省けます。空いた時間はクリエイティブな時間に使えるわけです。
たまたま今日の朝食がカフェだったなら良いでしょう。しかしいつも見かける常連さんも多いです。さてこの人たちはこの栄養で、これから全力で仕事に取り組み、持っている能力を十分発揮できるのでしょうか?
低栄養が常態化した背景には、忙しい現代人をサポートする便利な食材の普及があると思います。それはたいてい低栄養だからです。加工の過程で栄養素が抜けて行き、逆に余計なものが添加されて行きます。しかしそれは消費者の興味の対象ではありません。
消費者が便利な食材を求める限り、企業は努力を惜しみません。そしてそれはたいてい安くて、腐らなくて、美味しい、とっても不思議な食材になります。農水畜産物というより、もはや工業製品に近い。私はこれに疑問を持ってもらいたいと思っています。お腹と心は満たされますが、その中にあなたの体を作る原材料はあったでしょうか?
それから意外に思うかもしれませんが、思考も栄養が関与しています。脳の中では神経伝達物資というものが、脳細胞同士で連絡を取りあっています。それも栄養素でできています。
栄養が不足すればストレス耐性が低下し、思考停止したり、逆に暴走したりします。一社会現象は、低栄養がベースにないか疑ってみる必要があります。
ストレスによる反応は、自分ではコントロールできないものと考えられています。しかしもし低栄養でストレス耐性が下がっているならば、栄養の適正化で元に近づけることは可能です。何か薬を飲み続けているのなら、減薬や断薬もできるかもしれません。