(※写真はイメージです/PIXTA)

人生100年時代。NPO法人「老いの工学研究所」理事長の川口雅裕氏は、書籍『年寄りは集まって住め』のなかで、「高齢期の幸福」を考えるにあたっての「孤独の問題」について解説しています。

「親を放ったらかす罪悪感」本当は持たなくてよい?

もっとも、長男だという理由などで地元で公務員になったり地元企業に就職したりして、実家にいたりその近くに居を構えているような人であれば、親の様子もよく分かっていますし、親の老後について一緒に考えることは、それこそ自分の運命だと思っているでしょう。

 

でもそうではない、実家から都会に出てきた人のうち多くの人は、親を放ったらかしにしているような罪悪感を持ったり、日々とても親の様子が気にかかっていたりしているはずです。

 

しかし、冷静に考えれば罪悪感を持つ必要はありません。介護保険制度が導入され、介護保険料を払っており、介護サービスを利用するのは当然に受益できる権利であるからです。

 

介護保険制度の導入前までは、介護は受益者の負担がない国による措置制度、いわば「施し」でした。「施し」は世間に申し訳ないし、恥ずかしいと思う心理も分かりますが、今は違います。負担しているのだから、堂々と受益すればいいわけです。

 

つまり理屈としては、「もはや子どもや家族が親の面倒をみる時代ではなく、サービス業者に任せればいい」となっているのですが、そんなにドライに考えるのが難しいのも実際です。

子は親を知らない、分かっていない

都市に人が吸い込まれ核家族化したことで、親子の会話の機会は減り、相互の理解はかなり低下しました。

 

離れて暮らしており、帰省するのは正月やお盆くらいでは親の実態はなかなか分かりません。里帰りをしたときには、「せっかく帰ってきたのだから」と食べて飲んで終わりで、親の老後や最期といった込み入った話はできません。

 

親子が互いに想いを持っているのに、その話をしないままに時が過ぎてしまいます。

 

私も父の死後、「父親のことを何も知らなかった」「もっと話をしておけばよかった」と後悔しました。

 

歳をとり、徐々に自分の中に父親に似ているような部分があるように感じてきていたので(それは私にとって好ましいことではありませんでしたが)、ルーツとしての父親の話をなぜもっと深く聞いておかなかったのかと思いました。

 

よく酒を酌み交わしていたのですが、振り返ってみれば、核心に触れるような話は何となく照れくささがあって避けていました。

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『年寄りは集まって住め』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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