多忙な姉のもとにかかってきた、妹からの電話
先日、筆者の事務所に、山本さんとおっしゃる40代の女性の方が「余命宣告された妹と、実家の相続の件で相談に乗ってほしい」といって訪れました。
山本さんは二人姉妹の長女で、姉妹はそれぞれ結婚して家庭を築き、子どもに恵まれています。山本さんの母親は数年前に病気で他界しましたが、父親は健在です。父親は経営者として成功した人で、いまは会社を売却し、横浜の自宅で悠々自適の隠居生活を送っています。
「私は就職先の同僚と結婚し、いまも同じ会社で管理職として働いています。妹は大学時代に付き合っていた男性と、卒業後すぐに結婚しました。妹は相手とその両親の意向で、ずっと専業主婦でした。子どもも3人産み、幸せに暮らしていると思っていたのですが…」
姉妹の関係は良好でしたが、キャリアウーマンと専業主婦という環境の違いから、ここ数年は頻繁に顔を合わせることはありませんでした。
「年明けすぐ、妹から突然電話がかかってきたのです」
体調不良がひどくなり病院に駆け込んだところ、深刻な病気が見つかったというのです。
「専業主婦の妹は夫に家計を握られていて、病院へかかることができず、ずっと具合が悪いのを我慢していたというのです」
山本さんは電話をもらった翌日、仕事を早退して妹さんの家に行きました。
もともとスリムなほうだったのが、さらにやせて顔色も悪くなり、具合が悪いのは一目瞭然でした。
「なぜ私や父に早くいわなかったのかと妹を責めたのですが、生活が苦しいなんていえなかった、高齢の父に心配をかけたくなかったと…」
山本さんは、妹さんの夫が帰宅するのを待って事情を詳しく聞くと息巻くと、妹さんから〈あとで私がもっと大変になるからやめて〉と懇願されたそうです。
山本さんはとりあえず手持ちの数万円を妹さんに渡し、後ろ髪を引かれるように帰宅しました。
余命宣告を受けた妹に、無関心な夫と子どもたち
数日後、妹さんは自宅近くの総合病院に入院しましたが、残念ながら状態はいいとはいえず、明るい見通しが立たないまま治療が継続されることとなりました。そして、数週間の間隔で入退院を繰り返しながら、夫と中高生の3人の子どもたちの面倒を見る生活を続けていました。
山本さんは妹さんが退院するたび、週末ごとに妹さんの自宅を訪問し、代わりに家事をやるなどサポートを続けました。
「妹の夫は愛想よくしていますが、私の訪問をよく思っていないのは明らかでした。甥姪も、病気の母親にほとんど無関心な様子で、本当に驚きましたし、腹が立ちました。いいたいことはたくさんありましたが、立ち入ったことをすれば、また妹が苦しむと思いまして…」
しかし、ここ数週間のうち、妹さんの容態は悪化。長期入院することになりました。
「医師からは余命半年と聞き、妹も覚悟しているように見えます。父にはある程度病状を伝えていますが、なにしろ高齢なので、余命宣告の話までは…」
「父が築いた財産が、妹家族へ渡るのを阻止したい」
じつは、山本さんが今懸念しているのは、近い将来の相続のことでした。
山本さんの父親は事業を成功させた資産家です。もしいま亡くなれば、妹さんにも高額な遺産が半分相続され、結果的に妹さんの夫や子どもたちへと渡ることになります。
「妹の家族が許せません。妹のことは私が守ります。父が苦労して築いた財産を、あの家族に渡したくない…」
山本さんの気持ちを聞いた筆者は、山本さんの父親に公正証書遺言を書いていただくよう提案しました。状況を伺うと、まだ認知症の兆候もなく、お元気だということです。
「では、一刻も早く公正証書遺言を作成しましょう。万一お父さまと意思の疎通が図れなくなったり、亡くなられたりしては、山本さんのお考えは実現できません」
公正証書遺言で「全財産を長女に」と
山本さんの妹さんの子どもたちに、山本さんの父親の財産が多く渡らないようにするためには、父親に公正証書遺言を作成してもらうことが重要です。
法定相続人には「遺留分」といって、相続人の生活を保障するための最低限の財産が相続できる権利が保障されており、法定相続分の半分がそれに該当します。しかし、遺言書が必ずしもその要件を満たしている必要はありません。
「長女の山本さんにすべてを相続させる」という遺言書を作成しておけば、あとは遺留分侵害額の請求の調停を起こされたとしても、その場合は相続分の1/4を支払えばすみますし、なにもなければそのまま山本さんが全財産を相続することになります。
数日後、山本さんから連絡がありました。
「思い切って、父にすべて話しました。父はすごく驚いて怒り狂っていましたが、私が妹の入院先に連れて行くと、あの強かった人が泣き崩れてしまって…。遺言書の件は、父がいるところで妹にも相談したところ、〈ぜひそうして〉と…」
その後、山本さんの父親は、山本さんが提案したとおりの内容で公正証書遺言を作成しました。
「妹も、私や父に話したことで安心したのでしょうか、明るい表情が戻ってきました。このまま1日でも長く、穏やかな毎日を過ごしてくれたらと願っています…」
筆者は、電話の向こうから聞こえる、山本さんの落ち着いた声に安堵しました。
(※登場人物の名前は仮名です。守秘義務の関係上、実際の事例から変更している部分があります。)
山村法律事務所
代表弁護士 山村暢彦