(※写真はイメージです/PIXTA)

普段何気なく利用している鉄道駅に、知られざる「歴史の痕跡」があるのをご存じですか? じつはその背景に、興味深いストーリーが秘められているのです。なぜこんな高所に? 長年封印され続けた理由は? このタイミングで世間の耳目にさらされたワケ――。不思議で不可解、かつちょっぴり残念だったりもする、鉄道遺産の数々を紹介します。

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      突如、鉄道遺跡が出土!「高輪ゲートウェイ」駅

       

      2020年、山手線内では1971(昭和46)年の西日暮里駅に続く新駅「高輪ゲートウェイ」駅が開業しました。同駅周辺には赤穂浪士ゆかりの地として知られる「泉岳寺」や、江戸時代に関門が置かれた「高輪大木戸跡」など歴史的ランドマークが多く、昔ながらの町並みも所々に残っているエリアです。

       

      隣駅となる品川駅や田町駅と比べると市街地開発が進んでおらず、新駅開業によってこのエリアも劇的に変わりつつあります。新駅開業に伴う市街地開発事業の仮称は「高輪ゲートウェイシティ」で、総工費5,000億円を想定しています。

       

      合計約7万4,000m2にわたる開発敷地内にはオフィス・ホテル・商業施設などが入居する複合棟、展示場・ホール・飲食施設などが入居する文化創造棟、インターナショナルスクールが入居する住居棟が建ち上がる計画です。

       

      しかしここで問題が発生します。開発敷地内の造成工事中、地中から歴史的に貴重な鉄道遺構がひょっこり顔を出したのです。この遺構は「高輪築堤」といい、その正体は1872年(明治5年)の日本初の鉄道が新橋-横浜間に開通した際に造られた軌道の土台です。

       

      当時の新橋(現在の汐留)周辺には軍事施設や武家屋敷跡があったため、それらを避けて海上に築堤して軌道を敷くしかありませんでした。築堤は全長約2.7㎞におよび、海上を走る美しい列車の姿を描いた浮世絵も数多く残っています。

       

      築堤遺構の発見は近代鉄道史上大変喜ばしいことですが、移設か、現場保存かで議論となり、開発工事は一時中断せざるを得なくなりました。

       

      開発事業者側は「記録保存(発掘調査を行い出土品のみを別の場所で保存)」を提案する一方、鉄道史研究家らは「現地保存(発見された場所で保存)」を要望し、話し合いは平行線を辿ります。協議の結果、開発事業者は遺構のうち約80mの範囲に限り「現地保存」とする計画見直し案を提示します。

       

      発見された遺構の全長(断続的な部分の合計)約800mのうち現地保存されるのは一割程度に留まりますが、総額5,000億円が投じられるビッグプロジェクトの計画変更が叶ったわけですから、すべてが記録保存となるよりは良い方向へ進んだと考えるべきかもしれません。

      まとめ

      昭和初期、鉄道業界では多くの贈収賄事件が摘発されていました。鉄道各社は政治家に賄賂を渡して新路線・駅開業を優位に進めるよう促し、政治家側もそれを当然に受け入れていた時代です。今回紹介した鉄道遺産の中にもそういった利権争いの末に葬り去られた事例があるかもしれません。

       

      志半ばにして白金・品川延伸を断念し競合会社に吸収合併された池上電鉄、先見の明をもって新宿延伸を目指しながらも戦火に阻まれ計画断念せざるを得なかった東京高速鉄道、軍部等の圧力に屈し海上に鉄道路線を敷くという難工事を達成したにも関わらず埋め立てられてしまった高輪築堤など、諸事情により歴史から抹殺された残念な鉄道遺産は各所にあります。

       

      今回は東京都内にある代表的な事例を紹介するに留まりましたが、普段利用している鉄道路線の周囲を見回してみれば意外と多くの鉄道遺産が眠っていることに気づくはずです。

       

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        ※本連載は、『ライフプランnavi』の記事を抜粋、一部改変したものです。

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