将棋の対局はインターネット中継により、ファンたちが手軽にみられる時代になった。しかしその一方、中継だけでは伝わらないこともある。カメラに映らない光景、対局室のマイクが拾わない言葉…。彼らが胸に秘める闘志や信念は「文章にしないと、後に残らない」。将棋界を10年以上取材してきた朝日新聞の村瀬信也記者が、勝負師たちの姿を追う。今回は、「渡辺明」。

絶好調の渡辺の前に現れた「最大の敵」

「負けました」

 

午後7時14分。藤井聡太が指した100手目先手3六桂を見た渡辺が、そう告げて頭を下げた。藤井の史上最年少でのタイトル初防衛と九段昇段が決まった瞬間だった。

 

渡辺がタイトル奪還を目指して藤井に挑んだ第92期棋聖戦五番勝負。2021年7月3日に静岡県沼津市で指された第3局は、接戦のまま終盤戦に突入した。渡辺の攻め駒が藤井の玉に迫ったが、その切っ先を見切った藤井が絶妙手を放って突き放した。スコアは3勝0敗。藤井の完勝だった。

 

「いろいろあったが、終盤はわからなかった」。対局直後、渡辺はそう語った。残りの持ち時間が少ない中、気づいたら投了に追い込まれ、シリーズも決着――。急展開していく現実のスピードに、頭の中の整理が追いついていないように見えた。

 

藤井は2016年、中学2年でプロ入りした。「中学生棋士」の誕生は渡辺以来、16年ぶりのことだった。翌2017年、「公式戦29連勝」という新記録をデビューから無敗で樹立し、日本全国に「藤井フィーバー」を巻き起こしたことは記憶に新しい。

 

2019年2月。両者は第12回朝日杯将棋オープン戦の決勝という大舞台で、初めて対戦した。渡辺は、前年秋から数えて直近の成績が20勝1敗と絶好調。前回覇者の藤井との対戦はこれ以上ない豪華なカードだったが、勝利をつかんだのは16歳の藤井だった。

 

対局後、2人が大盤解説会に登場した際に印象的な場面があった。大勢の観客の前で中盤の勝負どころを振り返っていた時、藤井が渡辺側の好手を指摘したのだ。それを聞いた渡辺は「全然気づかなかったな」とつぶやき、考え込む。藤井はその横で、好機を与えることになった自身の指し手を反省していた。目の前で明かされる底知れない読みの速さに舌を巻いたのは、私だけではなかっただろう。

プロ入り20年、将棋界の頂点に立つが…

両者の次の対戦は、2020年の第91期棋聖戦五番勝負だった。早指しの朝日杯とは異なり、持ち時間は各4時間ある。渡辺にとって今度こそ負けられない勝負だったが、1勝3敗で敗れ、藤井の史上最年少でのタイトル獲得を許す結果となった。渡辺の名人獲得は、その1カ月後のことである。

 

名人を含む三冠となり、プロ入りから20年で将棋界の頂点に立った渡辺。だが、他の棋士たち、そしてファンも「名実共に1位」とは見ていない。言うまでもなく、藤井という存在がいるからだ。

 

2021年、渡辺と藤井は再び朝日杯の準決勝で対戦したが、勝ったのはまたも藤井だった。最も活躍した棋士に贈られる最優秀棋士賞も藤井が受賞した。そして、2年連続の棋聖戦敗退――。今の渡辺にとって、18歳下の藤井は最大の壁となっている。

 

 

村瀬 信也

朝日新聞 記者

 

 

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    本記事は『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』(幻冬舎)を抜粋・再編集したものです。

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    村瀬 信也

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