「忙しさから解放」…岩渕夫妻がセブ島に渡るまで
岩渕夫妻は2012年12月上旬に大館市からセブ島へ渡った。冬の間だけでも南国の暖かい気候で暮らそうと、とりあえずはお試し期間を兼ねて海外生活を始めることにした。
35年暮らした大館市の自宅は、老朽化によって至る所にがたがきていた。娘二人はすでに自宅を離れて生活しているため、仮に修理をしても継ぐ人がいない。修理の費用対効果を考え、処分することに決めた。
純一さんは家の増改築などの仕事を自営でやっていたが、冬は建築関係の仕事が少なくなるためにしばらくお休み。弘子さんも直前までは、着物の帯などの古布を使い、かばんを作って販売し、展示会を開くという仕事に追われる日々を送っていた。
セブ島に来て以降はそんな忙しさから解放され、水泳をやったり同じ年金生活者と歓談したり、日本の友人に手紙を書いたりしている。
日本では日中、それぞれが仕事に出ているために顔を合わせることがなかったが、今では買い物に行くにもどこに行くにも二人一緒だ。そんな生活に、「こんなにのんびりしていていいのだろうか」と逆に不安を感じるという。
海外移住を意識し始めたのは、日本でバブルが崩壊した直後のことだった。きっかけは、旅行先のマレーシア、ペナン島で見た星空に心を打たれたためだ。星が降ってくるような夜空に思わず純一さんは「こんな所に住めたらいいね」と弘子さんに語り掛けた。
純一さんは回想する。
「秋田では見られない夜空でしたね。ホテルのプライベートビーチをぶらぶら散歩しながら、吹く風も心地よく、それがすごく印象に残りました。その頃はただ漠然と、住めたらいいなあという程度で。海外に住むことが具体的になったのは最近です」
大館市の自宅でテレビを見ていると、海外で生活する高齢者たちの番組がよく放送されていた。当初はぼんやりとした思いだけだったが、徐々に海外移住を現実的に考え始めた。
日本で生活を続ければ、年齢とともに雪かきは辛くなる。自宅の屋根は勾配が急で、雪が積もると屋根に面する道路にドサッと落ちる。除雪機を使い、広場まで運ばなければならない。そんな冬を35年も過ごしてきた。
そして2012年2月上旬、ある出来事が起きた。