物価が安く、気候が温暖なフィリピンでセカンドライフを送る年金生活者は少なくない。セブ島に住む岩渕夫妻も「北国から脱出」してきた一組で、現在、大雪に見舞われている秋田県の出身だ。雪の多い地域で高齢者が暮らす苦労は計り知れない。ここではノンフィクションライターの水谷竹秀氏が、雪国で暮らす高齢者の実態、南国への移住を決める日本人の実情について解説していく。※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
「これ以上は無理だ」雪国で年金暮らし夫妻…セブ島での“越冬”を決めた決定的原因 厳冬期の2月になると、大館駅前には人の高さほどの雪が積もる(撮影:水谷竹秀)

「これ以上は無理だ」フィリピンでの越冬を決めたワケ

雪寄せの作業をしていた純一さんはその日の夕方、近所への雪の落下を防ぐ雪塀を修理していた。高さ約1メートルの脚立に上っての作業だったが、突然、脚立が倒れて転落。左手首を骨折した。

 

「もうこれ以上雪かきの生活を続けるのは無理だ」

 

1ヵ月後、退職者ビザの取得条件から、移住先の候補地に挙がっていたフィリピンへ下見に行った。前年にはマレーシアにも下見に行ったが、愛犬のマルチーズを連れて行くのに手続きが複雑だと聞いていたため、最終的にフィリピンを越冬地に決めたという。

寒い冬は「痔の痛み」にまで影響

多くの高齢者にとって、冬は天敵のような存在かもしれない。年を重ねる毎に高血圧や腰痛が悪化し、寒い季節に入ると同時に痛み出す。

 

フィリピンを含めた東南アジアが第二の人生を送る移住先となる理由に「温暖な気候」がある。例えばここフィリピンの年間平均気温は27℃で、一年中Tシャツに短パンで過ごすことができる。3月以降の夏期に入ると、マニラでは最高気温が36℃に達する。私を含め、こういった環境に長年暮らしていて、たまの一時帰国が冬に重なると、かなりこたえる。

 

フィリピンでは「雪」を言葉で表現するとき、「niyebe(ニエべ)」という単語が一般的に使われるが、これはスペイン語が語源で、公用語のタガログ語を語源とする「雪」を表す単語は存在しない。それはフィリピンに雪が降らないことが理由とみられる。

 

前作『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で私が取り上げた、無一文になってホームレス同然の暮らしを送っていた困窮邦人たちも、フィリピンの気候が恵まれていたために、生き延びることができたのだ。この国では日本のホームレスのように、凍死することはない。

 

フィリピン在住12年というベテランの磯江謙次郎(いそえけんじろう)さん(80歳)に会った時のことである。

 

場所は、マニラから長距離バスで約1時間半南下したラグナ州の高齢者施設「ローズ・プリンセス・ホーム」。そこに住む磯江さんがフィリピンへ移住した理由のひとつに、若い頃から続いている痔(じ)の痛みがあったという。

 

磯江さんが住む高齢者施設「ローズ・プリンセス・ホーム」はギリシャのパルテノン神殿を連想させる門構えで、1996年に完成した
磯江さんが住む高齢者施設「ローズ・プリンセス・ホーム」はギリシャのパルテノン神殿を連想させる門構えで、1996年に完成した

 

「気温が下がってくるとお尻が痛くなる。それを我慢してると今度腰にくるわけですよ。それをまた我慢してると、ぎっくり腰になって、完全に動けない状態になります」

 

磯江さんは右手で腰のあたりをさすった。

 

当時、都内で公務員として働いていた磯江さんは、仕事を理由に病院で治療をしていなかった。

 

「30代に入って仕事が色々忙しくなった頃、医者に行こうと思ってもなかなか行けなかった。手術をするとその当時でも3日ぐらいで治るんです。その時にやっておけばよかったんですけどね、それを放置して悪い方へ悪い方へ」

 

この結果、直腸の粘膜が肛門外へ抜け出る「脱肛(だっこう)」という状態になり、医師からは手術しても完治は難しいと診断された。

 

「特に冬はひどい。体を動かすだけで痛い。気温が下がってくると、鬱血するんですよ」

 

それほどまでに悩まされていた痛みだったが、フィリピンに住み始めて以降、いつの間にか消えてしまったという。

 

日本の冬を逃れ、常夏のフィリピンで暮らす磯江さん
日本の冬を逃れ、常夏のフィリピンで暮らす磯江さん

 

「こっちに来てからはそういう痛みが起きないから、もう完全に治ったと思ったんですよね。ところが……」

 

久しぶりに日本に一時帰国した際、寒さのせいで痛みを感じて再発したことが分かった。「完治した」というのは単なる思い込みだったのだ。やはり寒い所で暮らすことはもうできない。

 

「体は正直なもんでね」

 

磯江さんは苦笑した。