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「失われた10年」がただひたすらに続く日本社会
■「低位」に甘んじる日本企業の国際競争力
現在の日本経済の状況をひとことで表すならば、どんな表現が当てはまるでしょうか。
コロナ禍の極めて厳しい状況のなかでも、懸命にそれぞれの場所で最善を尽くしていることには、疑いの余地はありません。ただ、そうであっても結果的に、「失われた10年」あるいは「失われた20年」というネガティブな表現を耳にするたび、そしてそれに半ば慣れつつあることを、筆者は大変悔しく感じています。
実際に、データから見ても日本の国際力低下は明確です。経済指標としての1人あたりGDPは、2000年代に入り年々低下し、近年は持ち直しの傾向も見られるものの、23位という位置に甘んじています(2020年)。
また、国際競争力としても1997年に急落して以降、浮上のきっかけを掴めないまま、34位に留まっています(2020年)[図表1]。
振り返れば、1980年代に全盛期を迎えた日本企業は、その後、バブル経済の崩壊を迎えてより凋落の一途を辿ってきたと言われています。筆者は1988年より1991年までの約2年半をアメリカのボストンで過ごしましたが、当時の日本経済は超活況を呈しており、世界経済を制する日本国というような勢いがありました。
ビジネススクールの教授が「今の日本はバブル状態だ」と、初めてバブルという単語を聞いたことをはっきりと記憶しております。その時は「経済がバブル(泡)」というのはどういう意味なのか、今一理解できませんでしたが、まさに実態の伴わない中身のない泡だったということは、帰国してしばらくしてから実感することになりました。
当時のアメリカの企業は、特に製造業は日本の電機・半導体・自動車等の優良メーカーに完全に負け、明るい将来が見通せないかなり悲惨な状態でした。まだ、マイクロソフトもアップルも弱小企業に過ぎず、アマゾンやグーグルなどは形すらありませんでした。
それがどうでしょうか、その後ほんの10年足らずで、日本企業とアメリカ企業との立場はすっかり入れ代わったのみならず、日本企業は韓国、台湾、中国企業にまでもあまりにも短期間で主役の座を明け渡すことになるとは、あの当時は予想すらできませんでした。
日本企業凋落の代表例は電機産業でしょう。テレビ、冷蔵庫などの家電関連事業や半導体、パソコン、携帯電話などの電子製品事業においては、1990年に入って徐々にグローバル競争に敗れて縮小を余儀なくされ、2000年に入ると一部の企業は存続すら危ぶまれるような状態になりました。
このような急速な落ち込みを1990年代の初めに誰が予想したでしょうか。もちろん、筆者もバブル経済の高揚感にどっぷりと浸かってあまり危機感のない日々を送っていたと、その後深く反省したものです。
なぜ、日本企業の競争力がかくも急速に低下したのか、その主たる要因はなんだったのでしょうか?