父親が突然寝たきりで「ついにあのときが…」
ともあれ現実は、介護が終わるのは、施設入所となるか、利用者が死を迎えたとき。それまでのあいだ、利用者本人が少しでもつらさを感じることなく、できれば気分よく過ごしてもらいたい。そのケアの担い手である家族が抱える負担や不安を軽くするのがケアマネといえます。
つまり、ケアマネの良し悪しは、この部分に表れることが多いのです。そこで、介護を行なう家族はどんな負担や不安を感じるのか、例を挙げていきます。
まず、「未知」のことに対する不安があります。介護はほとんどの人にとって初めて経験することです。ケアマネが介護サービスの専門家によるチームをつくってサポートしてくれるといっても、それは一部分の限られた時間だけ。介護の主体となるのは、家族のなかからおもな担い手、つまり「介護者」として選ばれた人なのです。
介護者はその立場になったとたん、何か重いものを背負った気分になります。自分にできるだろうか、という不安もあります。しかし、介護が始まれば、やらなければならないことが次つぎと現れて、重い気分のまま、それに追われる日々がつづくことになります。
ケアマネがつくったケアプランを了承し、それに従って来訪したサービス事業者と契約を交かわすのは介護者。その過程では、介護保険の基本的な知識や自己負担の金額などを頭に入れておく必要があります。
また、自分自身がケアもしなければなりません。介護するのはもっとも身近な肉親、父親や母親ですが、元気なときはその体に触れることなどそうないはずです。ところが、介護が始まれば「触れる」というレベルをはるかに超えるケアが待っている。思うように動けなくなった体を全身で支えたりするわけです。
さらに、相手は生身の人間であり、おなかが空けば、ものを食べるし排泄もする。自力でトイレに行けるあいだはいいが、それができなくなったら介護者が排泄の処置をすることになります。これはかなり高いハードルですが、介護をする以上、乗り越えなければならないことなのです。
私もこのハードルを経験しました。父親が突然寝たきりになったとき、「ついにこのとき(排泄の処置)が来てしまったか」と重い気持ちになりました。そして、初めてその処置をしなければならなくなったときは、一大覚悟を決める必要がありました。
緊急連絡でケアマネが来た当日のこと。まだ、訪問介護のヘルパーさんも来ていませんでしたから処置の方法も聞けず、すべて自己流でやるしかないわけです。それまで見たこともない父の露わになった下半身を目のあたりにすることに抵抗がありましたし、排泄物を処理したうえ、汚れたおしりを拭きとらなければならない。