何かを始めたら、やり通さなければならないのか?
さて、もう一つ考えたいのは、「何かを始めたらやり通すべきか?」という問題です。
一般的に、親は子どもが途中でやめることを、子どもの意志の弱さの表れだとマイナスに判断しがちです。でも私は、子どもの本当の望みを見つけたければ、試しにやってみるというプロセスは不可欠だと思っています。
一つ一つ選んで、試してみなければ、自分の適性は見つかるはずもありません。
金庸(ジンヨン)の有名な武俠(ぶきょう)小説『射鵰英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)』で、武術家馬鈺(マーユー)が主人公郭靖(グオジン)に内功(武術の基本となる呼吸法)を教える場面に、ぴったりのセリフが出てきます。今手元に本がないのが残念ですが、こんなセリフだったと思います。
「おまえの六人の師匠は、みな武術の達人だ。ただ師匠がおまえに教えた方法や技術がおまえの性分に合わなかっただけだ」。だから不器用な郭靖は、師匠のもとで必死に修行しても結果を出せずにいたのです。でも馬鈺が出てきて、こっそり郭靖に内功を教えたことで、師匠たちの苦労も水の泡にならずに済みました。
これは全ての物事に共通することではないでしょうか。自分の性分に合うものさえ見つかれば、それまでの練習は無駄になりません。大切なのは最終的に適性を見つけ出すことです。
運のいい人は、自分を導いてくれる先生に出会えます。自分だけの力を頼りに、自分の適性を探し出せる人もいます。もし平平が、世の中に何千、何万とある漫画の中から自分に合ったスタイルを見つけようと思えば、一冊でも多くの漫画を読む以外に方法はありません。だから今の漫画漬けの生活も、あながち間違いとは言えないですね!
ある日、この作風が自分に合っていると感じたら、それを描き始めればいいし、途中で違うと感じたら、また変えればいい。これは中途半端ではなく、試行錯誤と呼ぶべきです。私は漫画家ではないので、自分の経験に照らしてお話しすることしかできません。あなたと平平で話し合えば、理解はもっと深まるでしょう。
子どものことは誰よりも子ども自身が分かっています。ただ、子どもは親を愛するあまり親が望む自分になろうとして、次第に「自分を理解する能力」を失っているだけなのです。
世の中の全ての親が、自分の子どもを受け入れ、自分の道を模索する子どもを応援できたら、どんなにいいでしょう。ここまで書いてまた私の頭に浮かんだのは、「落ちこぼれ」と呼ばれ、受験競争の中で自分を否定された子どもたちです。親以外に、この子たちを支えてあげられる人がいるでしょうか?
あなたの家族全員の幸せを願っています。
李 雅卿(リー・ヤーチン)
種子学苑 創立者